力を得るナショナリズム

先ほど、姥捨て山を例に、人類は集団としての生き残りを重視してきたというお話をしていただきました。それに関連して「ナショナル・セキュリティー」について伺います。「国家が存在する権利」「国家が生き残る権利」ですね(関連記事「緊急事態宣言と国家の生存を考える - 中谷元・元防衛相(2)」)。

萱野:集団として生き残るという社会のベクトルが、なぜ国家の生き残りによって体現されてしまうのか、という問題ですね。例えば外国人に対する入国拒否の措置は、たとえEUのような国家を超えた政治共同体をつくった国々であっても国家単位で行われています。

米国の人権団体が3月半ばに実施した調査によると、「アジア人め」などの言葉で嫌がらせを受けたとの回答が67%あったそうです。その他には「人に避けられた」が23%、「ものを投げつけられるなどの暴力をふるわれた」が10%。交通機関への乗車を拒否される、顔や服につばを吐かれる、といった経験をした回答者もいたそうです。

萱野:ロシアやタイは食糧の輸出を禁止したり制限したりする措置をとりました。こうした動きをグローバル化に反する動きだとして、懸念する声も多く聞こえてきます。コロナ禍においては、グローバリズムよりもナショナリズムの方が力を持っていることは否定できません。

 問題は、集団として生き残るというときの集団が、なぜ国家になってしまうのか、です。グローバリズムよりもナショナリズムが力を持ってしまうのも、その問題が背景にあります。

 危機の時代においては、人類が個人の自由よりも集団としての生き残りを重視することは仕方のないことです。しかしそれでも、その集団が国家である必要性はどれくらいあるのでしょうか。例えばその集団は人類全体という集団でもいいはずなのに、なぜそうならないのでしょうか。こうした問題です。

国家は富の分配を強制できる唯一の存在

 とはいえ、生き残りのための集団が国家になってしまうことには、半ば必然的な理由があります。というのも、

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