この記事は雑誌『日経ビジネス』11月8日号で『望めぬ合従連衡 コロナ禍の先、ANA・JALが突き付けられる問い』として掲載した記事を再編集して掲載するものです。

 特集連載「ANA・JAL 苦闘の600日」の第9回。危機はしばしば再編を呼ぶが、航空大手2社が統合する可能性は低い。両社は新型コロナウイルス禍がもたらした荒野に、自ら活路を見いださなければならない。「航空業界」の固定観念を打ち破った先に未来が見えてくるだろう。

日本航空(JAL)設立直後に入社した15人の客室乗務員。1300人超の応募者がいたという(写真:近現代PL/アフロ)
日本航空(JAL)設立直後に入社した15人の客室乗務員。1300人超の応募者がいたという(写真:近現代PL/アフロ)

 1945年、第2次世界大戦が終結するとGHQ(連合国軍総司令部)は日本の民間航空機の運航を停止させた。サンフランシスコ平和条約締結の前年、50年に運航禁止が解除されると「日本の翼」をよみがえらせる準備が始まる。

 51年、国が旗を振る形で日本航空(JAL)が設立され、その翌年、ANAホールディングス(HD)の前身・日本ヘリコプター輸送(日ペリ)が立ち上がった。日ペリは、当時は世界的にも政府主導の航空会社が多い中、純民間として設立されている。

 JALや日ペリと同時期に設立された5社が合従連衡を繰り返し、最終的に東急グループ中興の祖、五島昇が主導して71年に設立されたのが東亜国内航空、後の日本エアシステムだ。以降約30年にわたり、日本の翼は大手3社体制が続いた。

 90年代後半から、日本の空の構図は変化し始める。国は航空産業の規制緩和を始め、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)やAIRDOといった新規参入が相次ぐ。87年に完全民営化したJALは2002年に日本エアシステムと統合し、大手2社と新興航空会社という構図に変わった。10年のJAL破綻を経て、12年には日本にLCC(格安航空会社)元年が到来。ピーチ・アビエーションやジェットスター・ジャパンが運航を開始。約10年で競争環境はがらりと変わった。

 ただ、その環境は長くは続かない。多くの業界が経験してきたように、繰り返し押し寄せる危機が合従連衡を進めていく。新興航空会社は軒並み経営不振に陥り、ANAHDの出資を受けた。LCC各社もANAHDかJALのグループに入った。コードシェア(共同運航)先も含めれば、日本の空は「2色」に染まったといえる。

 だが、コロナ禍はその2社をも苦境に陥らせた。さらなる合従連衡は起き得るのか。

 欧州では04年のエールフランスとKLMオランダ航空、11年の英ブリティッシュ・エアウェイズとイベリア航空(スペイン)の統合などの事例があるが、基本的には外資規制などの影響で国をまたいだ経営統合は難しい。

 危機の度に航空会社の集約が進んだのは米国だ。1990年代後半まで10社以上の航空会社がひしめき合っていたが、01年の米同時テロやリーマン・ショックを経て、現在は3強に集約された。コロナ禍では、韓国の大韓航空とアシアナ航空の統合が政府主導で進められた。

 では、コロナ禍をきっかけとしたANAHDとJALの統合はあり得るのか。

 「日本に航空会社は1社でいい」。数年前、ANAHD内ではこんな議論が起きた。

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