ANAホールディングス(HD)は10月29日をもって、1年強続けてきた全日本空輸(ANA)と格安航空会社(LCC)、ピーチ・アビエーションのコードシェア(共同運航)を取りやめた。

ANAグループの新型コロナウイルス禍での歩みを描く本連載では、社員の外部出向などによる一時的な労働力の縮小、供給力の源泉である航空機材の大量退役などといった「身をかがめる」戦略を通して危機を乗り越えようとする様子を紹介してきた。その中で、限られた経営資源を最大限活用しようと浮上したのがANAとピーチの連携強化だった。ANAHDはどのように連携を深め、今回のコードシェア取りやめに至ったのか。新刊『ANA 苦闘の1000日』から、その実情に迫る。


日経ビジネスLIVEでは11月10日(木)18:00~19:00にウェビナー「コロナ禍に揺れたANA、トップが語る1000日」を開催します。登壇するのはANAHDの片野坂真哉会長です。新型コロナウイルス禍の2年半余りを振り返りつつ、「アフターコロナ」の航空業界、そしてANAHDのあるべき姿やそのグランドデザインについて語ります。参加を希望される方は「11/10開催 「ANA 苦闘の1000日」を片野坂会長が振り返る」から詳細をご確認ください。

2020年10月、ピーチ・アビエーションは成田空港での使用ターミナルを「第3」からANAも使う「第1」に移した。それを皮切りに両社は連携を強化し始めた
2020年10月、ピーチ・アビエーションは成田空港での使用ターミナルを「第3」からANAも使う「第1」に移した。それを皮切りに両社は連携を強化し始めた

 「回復する需要はグループで取り切る」。半年前の2022年4月末、2期連続の赤字に沈んだ22年3月期決算を発表したANAHD社長の芝田浩二はこう話した。23年1~3月期にはANAの国内線需要がコロナ禍前の9割まで回復すると予想。グループのLCC、ピーチ・アビエーションの国内線需要はその頃にはコロナ禍前以上に拡大するとした。「(ANAとピーチを合わせた国内線の)総需要は22年9月にはコロナ禍前の水準に戻る」と芝田は自信を示した。

 コロナ禍以降、ANAHDはグループのフルサービスキャリア(FSC)とLCCを連携させる方針を示してきた。

両社で「路線分担を最適化」

 「関西空港と中部空港発着の国内線運航は全てピーチに移管する」。今から遡ること2年前の20年初夏、コロナ禍を受けたコスト削減などを含む事業構造改革計画の策定を急ぐANAHDの中でこんな案が浮上した。

 関空は伊丹空港との兼ね合い、中部空港は新幹線との競合などもあり、国内線の収益性があまり高くない。一方でLCCが強いレジャー需要は一定程度抱えている。「FSCでは不採算でも、低コストで観光需要が中心のLCCであれば利益を生み出せる路線は少なからずある」(国内LCC大手の幹部)。そんな考えから生まれた発想だった。

 20年10月27日、コロナ禍を受けた事業構造改革の計画を発表したANAHD社長の片野坂真哉(現・会長)は「(ANAとピーチの)両ブランド間で連携して路線分担の最適化を図る」と語った。当初浮上した構想からは少しトーンダウンしたものの、方向性は不変だ。

 その2日前、成田空港第1ターミナル「南ウイング」1階のANA国内線のカウンターに、ピーチのロゴが印刷されたボードが新たに掲げられた。ピーチは19年後半から利用してきたLCC専用の第3ターミナルをわずか1年で引き揚げ、この日から第1ターミナルを利用し始めたのだ。

 第1ターミナルはANAが国際・国内線の拠点としている。ピーチは13年の成田乗り入れ以降、19年10月までは第1ターミナルを使ってきた。ピーチのCEO(最高経営責任者)、森健明はコロナ禍前から路線拡大に向けて第1ターミナルの利用を検討していたと説明するが、短期間での第3ターミナルからの「出戻り」はANAとの連携を急ぐためでもあろう。

 コロナ禍の初期から、ANAは長期にわたって成田発着の国内線を全便運休した。大幅減便が続いた国際線からの乗り継ぎ需要が主となる路線だからだ。同様に、関西空港発着の路線も大幅な減便が続いた。当時、ANAHD幹部は「両空港を発着する路線の需要を当分の間、ピーチが受け入れるという考え方はある」と話していた。

 ピーチの森も「ANAとピーチが就航する路線はかなり重複している」とのスタンスを示していた。国内では、成田と羽田、関西と伊丹を同一視すれば重複路線は多い。「これまでは事前に(どこの路線で運航するか)話し合うことをあまりしてこなかった」(森)

 ANAHDの事業構造改革計画を見越していたかのようにピーチは先手を打つ。国際線の運休で余った機材を活用し、20年10月25日に国内最長路線となる新千歳─那覇線や那覇─仙台線を就航。同年12月には初めて中部空港にも乗り入れるなど、国内線の路線網の拡充を急速に進めた。

 そして、一連の改革の方向性を決定づける施策が21年夏から始まった。

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