書籍『ANA 苦闘の1000日』(2022年9月26日発行)からANAグループのコロナ禍での歩みを描く連載の第4回。乗客の激減で「身をかがめる」覚悟を決めたANAホールディングス(HD)は2020年秋、グループ外への出向を大幅に増やす方針を打ち出した。航空業界への憧れを胸に入社したANAグループの社員たちは、畑違いの業界で働くという異例の経験で何を思ったのか。

2021年のゴールデンウイーク(GW)初日の羽田空港第2ターミナルの様子
2021年のゴールデンウイーク(GW)初日の羽田空港第2ターミナルの様子

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 羽田空港で国際線を担当するグランドスタッフの平塚柚は、グループ外部の企業に出向する内示を21年3月に受けた。出向期間は約6カ月。出向先は建設コンサルティングを手掛ける山下PMC(東京・中央)だ。空港での「おもてなし」の経験しかない平塚は、不安と希望を抱えながら出向初日を迎えた──。

 「来てほしいと僕たちからお願いしたんだよ」。平塚が出向先の山下PMCに出社してすぐに、同社の取締役、木下雅幸がこう声をかけてきた。

 経営の危機を受けた緊急措置としての外部出向と聞くと、ANAHDが八方手を尽くして様々な企業や団体に声をかけ、人材の受け入れを要請していったと想像される。ところが実際は、外部の企業や団体が積極的にANAHD側に「出向させるならぜひ我が社に」と申し出た事例が少なくなかった。山下PMCもその1社だった。

 不安を感じていた平塚は、山下PMCの歓迎ムードに救われる思いだった。それも、色々な場所に行ってたくさんの経験をしてきてほしいとまで言ってもらえた。「いきなりだけど、明後日から北海道に出張して、営業の現場を見てきてほしい」。自分にとって新しい上司となった木下のこんな依頼に、平塚は二つ返事で応じた。

外に出て初めて分かる

 とはいえ、航空会社と建設コンサルティングは全くの畑違い。営業の現場や会議で交わされる専門用語が「漢字表記なのかカタカナ表記なのかも分からないほどだった」と平塚は振り返る。初めて聞く言葉は全てメモし、後から調べたり、業界紙を読みあさったりした。手探りで少しずつ知識を身に付けていく日々が続く。

 「久々に学びの場に飛び込んだというか、ものすごく頭を使った」。これは、十分な経験を積んで仕事が軌道に乗っていた中堅社員ならではの思いかもしれない。

 配属されたのはイノベーション戦略室だった。コンサルティングなどの経験を積んだ人材が集まり、建設関連の新たなサービスを開発するのが役割だ。平塚はそこで営業の任務を与えられた。

 営業は当然初めてだ。ただ、空港などでのこれまでの業務経験が生かせる部分も少なくなかった。グランドスタッフの中では指導役も担っていたため、人前でプレゼンテーションをすることには慣れている。「旅客」を取引先に置き換えれば、相手の立場になって親身に対応するという基本は変わらない。

 空港の現場では時に客から無理難題を突き付けられることもある。それでも何とか満足してもらったり、納得してもらったりするために頭をひねりながら応対してきた。その粘り強さは営業の場でも生きた。「自分にはこういうことができるのか」。外の世界に飛び込んだことで初めて自らの能力を客観視できるようになった気がした。

 「観察力がすごいね」。同僚からはこんな声をかけられることもあった。客が何を考え、どんなことを求めているのか。空港では常に空港利用者を見ていた。利用者たちが浮かべる表情を観察し、発する言葉に耳を傾けてきた。

 相手をよく見る習慣は営業現場でも変わらない。同僚による説明が一方的になってしまったように見えたときにはこう耳打ちした。「おそらく先方はこういうことを求めているのでは」。営業専属の社員がいない山下PMCに新たな風が吹いた。

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