2022年9月26日発行の書籍『ANA 苦闘の1000日』から、ANAグループの経営者や社員のコロナ禍での苦悩、奮闘を振り返る本連載。中国・武漢支店の空港所長が街の異変に気付いた第1回に続く今回は、武漢からの帰国希望者の足を確保するためにANAがどう動いたのかを見ていこう。

中国・武漢から邦人を乗せて羽田空港に到着したANAチャーター機(写真:共同通信、2020年1月29日)
中国・武漢から邦人を乗せて羽田空港に到着したANAチャーター機(写真:共同通信、2020年1月29日)

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 2020年1月23日、全日本空輸(ANA)の中国・武漢支店の空港所長、鶴川昌宏はいつも通り午前5時ごろに目を覚ます。その日、枕元に置いたスマートフォンが映し出したのは見慣れない文字だった。

 「封城」

 中国語で刑務所で囚人が脱獄しないよう、自由を制限することを指すこの言葉。中国語が話せない鶴川でも、その字面からただごとでない雰囲気を感じた。とはいえ、何を意味しているかまでは分からなかった。

 そうこうしているうちに、現地採用のスタッフから「今日は会社に行けない」との連絡が相次ぐ。「鶴川さんも見ていると思うけど、武漢は都市封鎖されるのよ」。鶴川は事態の深刻さを理解した。

 都市封鎖となれば、空港はもちろん、鉄道やバスといった公共交通機関が全て停止することになる。封鎖が始まるのはその日の午前10時。タイムリミットはわずか4時間後に迫っていた。

『ANA 苦闘の1000日』(高尾泰朗著、日経BP)
『ANA 苦闘の1000日』(高尾泰朗著、日経BP)

 それまでにやらなければならないのは、午前に武漢を出発する成田行きの便を何とか運航することだ。日本企業の駐在員などの帰国の足を何とか確保する、という使命だけにとどまらない。この便を運航できなければ、航空機がずっと武漢に留め置かれたままになる可能性がある。前日や前々日に武漢に到着した便に乗務し、現地に待機していたパイロットや客室乗務員を日本に帰す必要もある。

 出発業務を終えた時間には都市封鎖が始まり、帰宅手段がなくなることを見越して現地スタッフたちは「出勤できない」と鶴川に連絡してきた。だが、スタッフの力がなければ成田行きの運航はまず無理だ。「何とか帰る手段は確保するから空港に来てくれ」。鶴川は複数のスタッフに電話で説いて回り、何とか業務に必要な人員を確保する。

 「4時間後には都市封鎖が始まる。急いで空港に向かって日本に帰ってくれ」。前日のフライトに乗務し、翌日の成田行きの便に向け英気を養っていたパイロットも急いでたたき起こした。

 空港に続々とやって来た乗客たちの顔には、都市封鎖という初めてであろう体験を前にした不安の表情が浮かんでいた。チェックインや乗客の誘導を着々とこなしていく鶴川や現地スタッフたち。その努力のかいもあって、成田行きの航空機は都市封鎖が始まる直前に武漢空港を飛び立っていった。

 ANAは同日の夕刻に成田を出発するはずだった武漢便、翌24日の成田─武漢の往復便の運休を急きょ決めた。そして24日には、武漢線の1月いっぱいの欠航が決まる。

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