新型コロナウイルス禍で大きな打撃を受けた航空業界。中でも、拡大路線にかじを切っていたANAホールディングス(HD)への影響は大きかった。ANAグループの経営者や社員の苦悩、奮闘を描いた書籍『ANA 苦闘の1000日』(2022年9月26日発行)から、中国・武漢でのコロナ禍の始まりの様子を振り返る。
「いったいどうなっているんだ」
2020年1月15日、太陽もまだ昇りきらぬ早朝。いつも通り出勤のため家を出た全日本空輸(ANA)の中国・武漢支店の空港所長、鶴川昌宏は普段目にしていた街の光景との違いに戸惑いを隠せなかった。
空港に向かうための地下鉄やバスといった公共交通機関の駅・停留所などには、体温計を持った現地当局のスタッフが待ち構えている。空港には「38度以上の熱がある人は空港に入れない」とのアナウンスが響く。

鶴川の社会人人生は1989年、平成の始まりと同時にスタートした。成田空港で飛行機への手荷物や貨物の積み下ろしなど地上支援(グランドハンドリング)を担う新東京空港事業(現・ANA成田エアポートサービス)に入社。以来、輸出貨物の取り扱いや飛行機の誘導、手荷物や貨物の機内への搭載など、華やかな航空産業の「裏方」の業務を長年、成田を舞台に経験してきた。
そんな鶴川に転機が訪れる。2016年、成田空港でのオペレーション全体を統括する部署に異動となったのだ。新東京空港事業など3社が統合して13年に生まれたANA成田エアポートサービスは、グランドハンドリングだけでなく、空港のカウンターや搭乗口などで旅客対応を担う「グランドスタッフ」が所属する部門、空港で使う車両の整備を手掛ける部門などを抱える大所帯となっていた。
異動した鶴川の目に映ったのは、「エアポートマネジメントディレクター」の活躍ぶりだった。空港のオペレーションを統べるベテラン社員たちを横目で見ているうちに、「いつか空港全体を統括する立場になってみたい」との思いが湧き始める。
航空事業の運営にはフライトの計画などを策定し、「地上のパイロット」とも呼ばれる「運航管理者」が不可欠だ。ANAの場合、運航管理者は全て羽田空港に集約されており、成田など他の空港には運航管理者をサポートする「運航支援者」がいる。グランドハンドリング業務一筋で25年以上キャリアを築いてきた鶴川だが、一念発起し、この運航支援者の資格を取得すべく一から勉強を始めることにした。
16年から成田─武漢線を運航
その頃ANAHDでは、国際線就航都市の広がりに合わせ、中核事業会社のANAだけでなく、グループ会社の社員にも海外駐在のチャンスが舞い込む機会が増えていた。海外空港には「空港所長」と呼ばれる、運航支援業務を担うポストがある。「運航支援者を目指すなら、空港所長として経験を積んでみてはどうか」。そんな上司の誘いを機に、鶴川は19年4月、中国内陸部の武漢に赴任することになった。
中国路線に注力してきたANAにとって、1000万人都市である武漢は中国11番目の就航地。ANAの国際線進出30周年となる16年から成田─武漢線を運航している。自動車産業の集積地として知られ、日系メーカーも多く進出している。日本人駐在員は600人強とされ、さほど多くはないものの、出張需要は根強い。
空港所長の業務はグランドハンドリング業務などの監督から、武漢便に乗務したパイロットや客室乗務員のケア、武漢空港を運営・管理する会社や当局との調整など多岐にわたる。成田─武漢線は1日1便。鶴川は夜、武漢に到着する便に合わせ、空港に出勤して数時間業務をこなした後に一度帰宅。折り返し便の運航時間に合わせ、翌日早朝に再び出勤し、昼前にまた帰宅するのが日課だった。
鶴川は中国語を話せない。ただ、空港にいるスタッフは皆、日本語が堪能だ。コミュニケーションに困ることはない。忙しくはあったものの、現地のカルチャーにもうまく順応し、充実した日々を過ごしていた。
ただ、赴任から1年もたたずして、空港所長としての日常が一変することになる。
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