JR西日本の赤字路線をLRT(次世代型路面電車)「富山ライトレール」として再生させた実績を持つ森雅志・前富山市長。自身の経験から、路線の維持を交通事業者任せにするのではなく、都市政策の重要なツールの1つに位置づけるべきだと話す。

前富山市長・富山大学客員教授 森雅志[もり・まさし]氏
前富山市長・富山大学客員教授 森雅志[もり・まさし]氏
1952年富山市生まれ、中央大学法学部卒。77年に司法書士・行政書士事務所を開設し、1995年に富山県議会議員に初当選。2期務めた後、2002年の富山市長選挙に立候補して当選。21年まで4期務めた。退任後は梨栽培に打ち込む傍ら、富山大学客員教授を務める。自身の経験を「地方自治体による鉄軌道政策の成果と課題に関する研究」という論文として共同でまとめた。

 私が2002年に富山市長に就任した当時、人口減少に対する社会的な問題意識はあまり語られていなかったように思います。しかし私は市政運営にとって大きな問題になると考えました。人口が減少すれば経済はシュリンク(縮小)し、税収が落ちます。そうしたら行政は市民の負担を上げるか、サービス水準を下げるかのどちらかしかなくなるのです。

 地方都市では人口を増やす余地は小さいが、少しでも緩やかに減らしたい。そのためには「企業経営者が選んでくれる都市」にしなければいけないと考えました。赴任する社員たちが家族で引っ越してきたいと思える魅力的な街にする。東京など首都圏から移住してもらうなら、マイカーがなくても生活できる環境をつくらなければいけないと思い至ったのです。

 15年の北陸新幹線開業に向けて富山駅が高架化されることになり、市内を走るJR富山港線をどうするか考える必要が出てきました。この路線は赤字で、そのまま高架化するのか、廃止してバスに転換するのか、LRTと呼ばれる次世代型路面電車にするのか、比較検討しました。

 路線の収支だけ考えれば、コストが安いバスにするのが当たり前です。しかしLRT化することを決め、「富山ライトレール」という会社を設立して06年にJR西日本から運行を引き継ぎました。

JR時代の富山港線は運行本数が少ないローカル線だった
JR時代の富山港線は運行本数が少ないローカル線だった

 それはなぜか。確かに建設費用や運行コストはかかりますが、所要時間の短縮や道路渋滞の緩和など、社会的便益のほうが上回るという試算があったからです。