創業100周年を迎える東急が、新型コロナウイルス禍で新たな沿線開発モデルの創出に取り組み始めた。その第1歩である「nexusチャレンジパーク早野」は、駅からは遠く離れ、商業施設でもない。事業者目線を捨て、地域住民と対話しながら目指すのは「歩きたくなるまち」だ。

 4月10日、東急グループ代表で東急会長の野本弘文氏、東急社長の高橋和夫氏、そして事業会社である東急電鉄社長の渡辺功氏が東横線・目黒線の田園調布駅(東京・大田)に勢ぞろいした。東急グループの創業100周年を祝う記念列車の出発式を執り行うためだ。

田園調布駅の旧駅舎をバックに創業100周年記念列車の出発式が行われた
田園調布駅の旧駅舎をバックに創業100周年記念列車の出発式が行われた

 本拠地である渋谷ではなく田園調布で式典を開いたのには理由がある。東急は100年前の1922年、実業家の渋沢栄一などが宅地開発をしていた田園調布と都心を結ぶ足として目黒蒲田電鉄という名称で設立された(現在の目黒線を翌23年に開業)。あいさつに立った野本氏は「田園調布は東急のブランドの大元。田園調布があるからこそ、東急線沿線は素晴らしいですね、住みたいですねと言ってもらえる」と話し、こう続けた。「こうした街づくりや様々な事業をこれから先の100年も続けてまいりたい」

 田園調布駅のシンボルである2階建ての旧駅舎の2階には、開業当時、「ジグス堂」というレストランが入っていたという。規模は極めて小さいが、今の駅ビルの始祖ともいえるだろう。通勤輸送のために都心と郊外を鉄道で結び、駅を中心に街づくりを行う――。これが東急をはじめとする大手私鉄の沿線開発モデルだった。

大正時代の田園調布駅。2階に「洋食」「喫茶」「ジグス堂」の看板が見える
大正時代の田園調布駅。2階に「洋食」「喫茶」「ジグス堂」の看板が見える

 しかしコロナ禍は、100年続いたビジネスモデルを根底から崩そうとしている。東急の定期券利用客数の落ち込みは関東の大手私鉄で最大。田園調布に代表される高級住宅街を多く抱え、世帯年収の高い人々に選ばれてきたこれまでの強みが一転、あだになっている。テレワークが定着し、都心への通勤というライフスタイルが転換点を迎えつつあるからだ。

 この大変革にどう対応すべきか。約2年間かけて出した答えが1つ、ようやく形になった。東急が4月7日に開業した「nexusチャレンジパーク早野」だ。

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