新型コロナウイルス禍で利用客が急減した鉄道業界。リモートワークの浸透で通勤や出張が減少し、コロナ禍前の水準には戻らないとみられている。しかしこれは、コロナ禍がなくとも、人口減少でいずれ起こったことだ。
日経ビジネスは2022年12月、書籍『鉄道会社サバイバル』を発行した。コロナ禍により、10年後と想定していた利用客の減少が前倒しでやってきた――。客のいないホーム、ガラガラの電車を目の当たりにして、現場社員の奮闘が始まった。折しもコロナ禍まっただ中の20年4月に鉄道業界担当となった記者による、苦境の2年半を描いたルポルタージュとなっている。
日経ビジネスLIVEは日経クロストレンドと共同で、書籍発行に連動したウェビナー「九州を元気に!~JR九州を株式上場に導いた経営とマーケティング~」を3月9日に開催。JR九州会長の青柳俊彦氏をお招きし、ローカル線を多く抱える同社の復活劇について語っていただいた。
(構成:森脇早絵、アーカイブ動画は最終ページにあります)

佐藤嘉彦・日経ビジネス記者(以下、佐藤):皆さん、こんばんは。本日は「九州を元気に!~JR九州を株式上場に導いた経営とマーケティング~」と題して、JR九州代表取締役会長の青柳俊彦氏にご講演いただきます。本日はよろしくお願いいたします。

青柳俊彦・JR九州会長(以下、青柳氏):よろしくお願いいたします。本日は、最初にJR九州の誕生から事業の多角化、そして上場の話をした上で、最近のトピックについてお話しします。
JR九州は1987年4月1日、旧国鉄の分割民営化でできた会社です。発足当初の社員数は約1万5000人でしたが、実は約3000人の余剰人員を抱えていました。経営環境が非常に厳しく、営業損失は約300億円。それを、経営安定基金3877億円を利率7.3%で運用して得られる利益300億円で相殺する前提でスタートしたのです。
JR九州が誕生してから最初に取り組んだのは、鉄道を維持するための収入の確保と経費の削減でした。収入の確保については2つの方針があり、1つは鉄道の価値向上。当時は鉄道事業において、飛行機や高速バスとの競争を強いられていました。そこで、安全・安定輸送は当然のことですが、列車本数の増加やスピードアップ、新駅の設置やデザインへの配慮など、あらゆることをやってまいりました。もう1つは事業の多角化。旧国鉄時代には禁じられていた非鉄道事業に取り組み始めたのです。その成果として、後に不動産・ホテル、建設、運輸サービス、流通・外食など44のグループ会社が生まれていきました。

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