JR東日本とJR東海は、これまで春、夏、冬の学校休みのシーズン限定で運行してきた臨時の夜行快速列車「ムーンライトながら」(東京~大垣間)の運行を終了すると発表した。コロナ禍で20年夏と冬の運行が見送られており、20年春の運転を最後に、復活しないまま静かに幕を閉じることが決まった。

最後の運行は20年春だった。特急「踊り子号」などで走る旧国鉄時代の特急車両が使われていたが、老朽化による引退に合わせて列車自体の廃止が決まった
最後の運行は20年春だった。特急「踊り子号」などで走る旧国鉄時代の特急車両が使われていたが、老朽化による引退に合わせて列車自体の廃止が決まった

 ムーンライトながらという列車名に聞き覚えがなくても、「大垣夜行」と聞けば懐かしさを覚える人もいるかもしれない。これは正式名称ではなく、1996年3月に座席指定制の快速列車になるまで、列車名がない普通列車として運行されていた時の通称だ。首都圏・中京圏の東海道本線では最終電車・始発電車としての役割も担い、スーツ姿の通勤客と大きな荷物を持った旅行客が混在。背もたれが垂直なボックスシートで、真夜中でも車内の明かりが落とされることがないなど、安眠するのは難しい車内環境だった。それでも特急券や寝台券が不要で割安に移動できることから、金はないが時間だけはある学生を中心に人気を集めていたのだ。かく言う記者も、中高生だった90年代には、席を確保するために始発駅で何時間も並んで旅に出たものだった。ホームに座り込んでカードゲームなどに興じる学生があちこちに見られ、独特な雰囲気があったことを思い出す。

96年まではボックスシートで全車両が自由席だった。定期列車が新型車両に置き換わった後も、多客時には古い車両を使った増発列車が運行されていた
96年まではボックスシートで全車両が自由席だった。定期列車が新型車両に置き換わった後も、多客時には古い車両を使った増発列車が運行されていた

 ところが今の旅行事情は全く異なるようだ。社会人になってから母校を訪れた際、20歳も年の離れた後輩に今はどうやって旅行しているのか訪ねたことがある。その答えに驚いた。「ネットでビジネスホテルを取りますよ」と事もなげに答えたからだ。

 自らの旅行を振り返ってみると、ホテルを予約して旅行するようになったのは大学時代、ネット予約が普及した2000年代に入ってからだった。90年代半ばはまだネット予約がなく、安価なユースホステルに泊まるために、往復はがきで申し込んでいたことを思い出す。それよりは指定券や寝台券を全国の駅にある窓口で買うことができる夜行列車のほうが便利だった。

 今ではすっかり定番となった大手ビジネスホテルチェーンの歴史をひもとくと、夜行列車が衰退した原因の一端が見えてくる。アパホテルが金沢市で創業したのは84年。北陸地方でチェーン展開した後、域外の首都圏(東京の板橋)に初進出したのは97年だ。東横イン(東京・大田)が1号店を大田区の蒲田に出したのが86年で、首都圏以外の福島県郡山市に進出したのは91年。社員寮などを運営してきた共立メンテナンスが「ドーミーイン」でビジネスホテル事業に参入したのは93年で、97年から全国展開に踏み切った。

 これらを鉄道の動きと重ね合わせてみるとどうなるか。国鉄が分割民営化されたのは87年で、その前後にビジネスホテルチェーンが創業していることがわかる。ビジネスホテルチェーンの全国拡大と符合するように、夜行列車は衰退の一途をたどっていった。東海道本線に限ると、94年に「みずほ」(東京~長崎・熊本)が姿を消し、05年に「あさかぜ」(東京~下関)と「さくら」(東京~長崎)が廃止に。08年には「銀河」(東京~大阪)が運行を終えた。そして09年に「富士」(東京~大分)、「はやぶさ」(東京~熊本)が廃止され、ムーンライトながらも臨時列車となったことで、毎日走る夜行列車は「サンライズ出雲・瀬戸」だけになった。寝台料金はプライバシー性が保たれるとは言い難い2段ベッドでも約6000円。ビジネスホテルは同じかむしろ安く、わざわざ夜行列車を選ぶ理由がなくなったのだ。

夜行の移動ニーズはバスにシフト

 もちろん、寝ている間に移動し、朝に目的地に到着できるという夜行のニーズが消えたわけではない。その受け皿になったのが夜行高速バスだ。夜行バス自体は1960年代から存在しているが、2000年代に入ってから一気に勢力を伸ばした。例えば現在、大手の一角を占めるWILLER(ウィラーに、大阪・北区)が旅行業から高速ツアーバス事業に本格参入したのが06年のこと。楽天トラベルなどの旅行サイトが高速ツアーバス各社のネット予約を始めたことで価格競争が勃発し、ウィラーのような新規参入組が勢力を拡大できた。楽天トラベルで高速バス予約事業の立ち上げに関わり、現在は高速バスマーケティング研究所(横浜市港北区)の所長を務める成定竜一氏は「ウェブマーケティングの活用が、ムーンライトながらの利用減につながった面はある」と話す。需要や車両の設備に応じて料金を変動させるダイナミックプライシングにより、首都圏と京阪神を結ぶ高速バスの料金は片道8000円台から最安で3000円程度まで下がった。「ピーク時には首都圏~京阪神間で一晩に片道当たり200台、首都圏~名古屋間でも70台くらいの高速バスが運行されていたと記憶している。輸送力でもムーンライトながらに影響を与えたはずだ」と成定氏。国土交通省の統計データでは、東京~京阪神間の高速バスの利用客数は05年の年間72万5000人から、15年は年間161万4000人へと2倍以上に増えているという。

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