テレビ東京アナウンサー・角谷暁子と日経ビジネス編集委員・山川龍雄が、世間を騒がせている時事問題をゲストに直撃する動画の新シリーズ。第2回のテーマは、香港国家安全法で「10年後の香港はどうなる?」。香港への「国家安全法」の導入を巡り、米中が非難合戦を繰り返している。トランプ大統領が「中国は『一国二制度』を『一国一制度』に変えた」と言い、中国への制裁を表明すると、中国外務省は「著しい内政干渉であり、米中関係を破壊するものだ」と強く反発した。今後の香港はどうなるのか。興梠一郎・神田外語大学教授は「中国は香港のマカオ化を狙っている」と指摘。中国の姿勢次第では、香港が貿易・金融センターの地位を失うと警鐘を鳴らす。
角谷暁子(日経プラス10サタデー・キャスター、以下、角谷):さあ、始まりました。これまでのところ、なかなかカドが立つような質問ができていないのが反省点です。
山川龍雄(日経プラス10サタデー・メインキャスター、以下、山川):そうですか。おかげさまでとても好評で、毎回、たくさんの人に動画を見ていただいています。デリケートな話題が多いので、突っ込むのはなかなか難しいですよね。
角谷:このコンテンツは毎週土曜朝9時30分からBSテレ東 7チャンネルで放送している「日経プラス10サタデー ニュースの疑問」という番組内でお伝えしきれなかったことをネット配信でお伝えしていこうというものです。山川さんにも引き続き参加していただきます。
今回のテーマは「国家安全法で、どうなる香港」
5月28日、中国は、北京で開いた全国人民代表大会(全人代、国会に相当)で、反体制活動を禁じる「香港国家安全法」の制定方針を採択しました。それを受けて、香港では反政府デモが続いています。一方、トランプ米大統領は、中国に対して厳しい対抗措置を打ち出しました。
香港を巡る問題については、現地で学生がデモを続けているので、日本でも若い人たちが関心を寄せていますね。
山川:そうですね。ただ心配なのは、どの国も新型コロナウイルスの問題に関心が集中してしまい、香港問題が置き去りになっているように見えることです。国家安全法は、昨年、問題となった逃亡犯条例よりもはるかに深刻な内容を含んでいます。にもかかわらず、昨年よりもメディアの取り上げ方が少ない。
だからこそ、今回はじっくりと掘り下げましょう。
角谷:お話を伺うのは、神田外語大学教授の興梠一郎さんです。よろしくお願いします。
興梠一郎氏(神田外語大学教授、以下、興梠氏):よろしくお願いします。
興梠一郎(こうろぎ・いちろう)
神田外語大学外国語学部教授 1959年生まれ、大分県出身。現代中国論専攻。九州大学経済学部卒業後、三菱商事中国チームに勤務。カリフォルニア大学バークレー校修士課程修了、東京外国語大学大学院修士課程修了。外務省専門調査員(香港総領事館)、参議院第一特別調査室客員調査員などを経て現職。著書は『中国 目覚めた民衆ー習近平体制と日中関係のゆくえ』(NHK出版)、『中国ー巨大国家の底流』(文芸春秋)、『中国激流ー13億のゆくえ』(岩波書店)など。
角谷:では、最初の疑問はこちらです。
まず、ズバリと聞きます。興梠さんは10年後の香港は、どうなっていると予想しますか?
興梠氏:中国政府がどこまで強硬に進めるか次第ですね。表向きアメリカや香港に対して強気な発言を繰り返していますが、香港は中国と世界をつなぐ貿易・金融センターです。その活力を奪うことはしたくない。本音では、国家安全法による影響を最小限にとどめたいと考えているはずです。
一方のアメリカにとっても、香港の経済的なメリットは大きい。香港には米国企業約1300社が拠点を構えています。活力を奪いたくない点では両国の思惑は一致しています。その中でどう折り合いをつけるか。
もともと香港は中国共産党が上海を占領したときに資産を持って逃げてきた人たちが築き上げた土地です。香港人というのは、何かあると資金を持って他の土地に逃げるというDNAを持っている。あまり刺激し過ぎるとシンガポールや台湾などに移り住んでしまう。実際、そうした動きは出ているし、台湾やイギリスは、そうした人たちを受け入れる措置も講じ始めています。
その中で、中国政府がどう動くのか。自分たちを守るために、金の卵を産む鶏を殺してしまうのか。自重するのか。これから国家安全法の詳細を詰める段階で、次第に中国の姿勢も分かってくるでしょう。
山川:ここで香港版の国家安全法をおさらいしておきましょう。
角谷:はい。香港での反体制活動を禁じる法で、香港に高度な自治を認めた「一国二制度」を揺るがすものとみられています。
山川:今後は、全人代常務委員会が法律の詳細を決めることになります。6月にも立法作業を終え、遅くとも8月には施行される見通しです。
イギリスの植民地だった香港が1997年に返還される際、中国は少なくとも50年間は大陸とは異なる制度を維持する一国二制度を承諾し、外交と防衛以外の高度な自治を認めました。
その香港の憲法にあたる香港基本法は、言論やデモの自由を認めています。ただ、香港政府が国家安全法を制定するとも定めています。江沢民政権時代の2002~03年には、香港政府が法制化を進めようとしたのですが、このときは重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染拡大もあって、住民の反発が強く、法案が撤回された経緯があります。中国政府は再び、香港住民の意向を無視して法制化を進めようとしているわけです。
角谷:具体的には、上に示した通り、「国家分裂」「テロ活動」「政権転覆」「外国の干渉」などを禁じる内容になるとみられています。
山川:施行されれば、香港の民主化運動は徹底的に封じ込められるでしょう。デモもそうですが、SNSを使った情報交換など、コミュニケーションも遮断されてしまう可能性があります。香港の住民の中には、フェイスブックやグーグルなどが、使えなくなるのではないかと心配している人もいます。
興梠さん、この法案が施行されたら、相当、香港は息苦しい社会になりそうですね。
中国の狙いは香港のマカオ化
興梠氏:そうですね。中国は香港をマカオのようにすることをイメージしていると思います。
香港と同じ特別行政区であるマカオは、2009年に国家安全法を制定しました。その結果、マカオの住民はデモをしたくてもできませんし、政府批判の書き込みもできません。最高で25年という求刑を受けますから。
山川:法律によって厳しく罰せられるようになったわけですね。実際、それ以降、中国に反発するような動きは出ていないのですか。
興梠氏:マカオにも民主派はいますが、喉にナイフを突きつけられているような状態で、動きたくても動けない。同時に現金を給付するということをやっていて、経済的には民衆が中国に取り込まれています。
山川:そうすると、最初の疑問である「10年後の香港は?」という問いに対する興梠さんの回答は、「マカオのようになっていく」ということですか。
興梠氏:そうです。中国側から、マカオ化を意識しているような発言が時折見られますから。
ただ、マカオで実現したことが香港にも通用するかどうかは分かりません。香港の人たちは受けてきた教育も、歴史的な背景も違いますから、当然、反発も大きい。
角谷:さて、その香港の人たちの心情はどんなものなのか。次の質問はこちらです。
興梠氏:私は1997年7月に香港が中国に返還された当時、香港で仕事をしていました。当時と今とでは、隔世の感があります。
元来、香港人といっても様々で、例えば国籍はイギリスやオーストラリア、日本、アメリカであるにもかかわらず、香港の身分証明書を持っているような人たちがいます。香港というのは多元的な社会です。
ただ、昔に比べれば、「香港人」であるという意識が強まっています。中国の締め付けが強くなるほど、自由を維持したいという思いが強まっているように感じます。
もちろん、資産を持って海外に逃避しようという考えの人もいますが、香港に住み続けたいという気持ちも強い。それが昨年の若者中心のデモにつながったのです。ただこれは若者に限った話ではありません。富裕層の中にも最近の中国の動きには危機感を抱く人が多い。
昨年のデモでは「反送中」というスローガンが掲げられました。これは「中国への送還反対」という意味です。逃亡犯条例が通ってしまったら、いろんな口実をつけて、中国に連れていかれてしまう。若者も大人も危機感を抱くのは当然です。
そして今回の法案は、中国への送還どころではありません。中国政府が前面に出てきて、デモや発言を取り締まるようになる。より深刻な事態になろうとしています。
ただ、香港人の中には、中国への抵抗を諦めかけている人も多いと思います。昨年までは香港政府との闘いでしたが、今回は中央政府との闘いですからね。絶望感に近いものがある。アメリカに何とかしてほしいというのが本音でしょう。
角谷:先ほどのお話で外国に逃避する動きがあるということでした。ここで一つ見ておきたいグラフがあります。香港における無犯罪証明書の申請件数の推移です。
山川:はい。香港の人がビザを取得するためには、無犯罪証明書が必要になります。この申請件数が増えているということは、それだけビザを取得したい人が増えているということを意味します。
興梠さん、足元でも香港を離れて移住しようという人が出てきているようですね。
興梠氏:手段がある人はそうしたいでしょうね。例えば親は行けなくても子供はもっと自由な社会で生活させたいという思いもあるでしょう。
山川:資産の逃避についてはいかがですか。
興梠氏:あまり知られていませんが、香港には大陸の投資家も多額の資産を保有しています。彼らは中国に資産を置いておくと危ないという意識が潜在的にありますから、香港に移しているのです。
中国は政治的な権力闘争が起きると何でもありの世界なので、自分を守ることができない。だから共産党幹部の関係者なども資産を香港に置いているのです。この人たちが、実は今の状況を一番怖がっているはずです。
山川:香港に強硬な措置をとる中国の政治家たちも、内心、穏やかではないと。中国も香港も安全ではないとすると、次はどこに移そうかと考えているわけですね。
興梠氏:金融資産だけでなく、不動産もそうです。今後、香港の不動産を売却して、共産党の支配が及ばない地域に資産を置くという動きが出てくるかもしれません。
角谷:根本的な疑問ですが、香港の中にいる人たちが資産を移そうとしているのに、そんな場所が今後も金融センターとしての地位を保ち続けられるのでしょうか?
アメリカの制裁は「限定的」?
興梠氏:アメリカがどこまで制裁をかけてくるかにもよります。香港に与えてきた優遇措置やドル決済機能にまで本気で手をつけてくると、中国も応戦せざるを得なくなる。そうなると、香港は活力を失っていくでしょう。
ただ、中国はアメリカの制裁は限定的になると思っているふしがあります。中国の本音が一番、よく出るのは人民日報系の環球時報という新聞ですが、その社説には先日、要約すると、こんなことが書かれていました。
「アメリカは香港に対して貿易は黒字だし、金融ビジネスでももうかっている。制裁を強めれば、自分を傷つけることになる。香港に対する優遇措置を奪ってしまえば、香港人を敵に回してしまう。だからアメリカは限定的な制裁しかできない。特に金融には手をつけないだろう」
実際にそうなるかは分かりませんが、中国側はアメリカの本気度を見透かしているようなところがあります。
山川:このインタビューは5月30日に収録していますが、ちょうどトランプ大統領が記者会見で以下のような制裁のメニューを示したところです。
山川:「香港へのビザや関税の優遇措置見直し」「中国や香港当局者への制裁」「脅威となる中国人の入国禁止」などを挙げたようですが、興梠さんが指摘する通り、金融や決済に関する制裁は現時点では見当たりませんね。さらなる対中関税の引き上げにも言及していません。
やはりアメリカも、経済やマーケットが傷むような制裁は避けているように見えますね。
興梠氏:その通りです。むしろアメリカでは議会のほうが強硬です。上院には超党派による法案が出されていて、米銀との取引を制限するとか、中国の銀行にドル決済をやらせないとか、過激な制裁内容が示されています。ただ、トランプ大統領は今のところ言及していません。
逆に言えば、中国にとって大きな痛手になるような制裁メニューは見当たりません。一部の中国人の入国禁止は以前から示されていたことだし、中国や香港の関係者の金融口座を凍結したとしても、大して困るわけではない。
むしろ、香港に与えてきたビザや関税などの優遇見直しは、香港人が困ります。これもどこまでアメリカが踏み込むかは分からない。少なくとも中国側は、香港人を敵に回すような制裁は限定的になるだろうと見ています。
山川:確かに香港への優遇策を見直せば、中国も困るでしょうが、それ以上に現地に住んでいる人が困るわけですね。
角谷:それでは、3つ目の疑問です。
中国はなぜ国家安全法にこうまでこだわっているのでしょうか。デモを抑え込みたいというのは分かりますが、貿易・金融センターという香港の地位を危機にさらしてまで、強硬に法制化を進める理由はどこにあるのでしょうか。
興梠氏:外からの影響力をそぎたいのです。とにかく民主主義というものを香港で実現させたくない。
イギリスから返還された当時は、香港人が外国に逃げては困るし、外資も撤退しては困るので、一国二制度を認めるしかなかった。だから、香港基本法の内容でも妥協していたわけです。
しかし本音では香港で完全な民主主義が根付くのは困る。香港で起きた民主化の波を放っておけば、他地域に波及するというトラウマを持っています。これは我々の想像を絶する危機感です。
習近平(シー・ジンピン)主席は、特にソ連が崩壊した経緯を共産党内でしばしば口にします。絶対にソ連のようにはならないと戒めるためです。
香港はかつてのベルリンの壁
角谷:それは経済や国際社会の声よりも、何よりも優先される、ということなのでしょうか?
興梠氏:はい。中国本土では2015年に国家安全法が施行されました。同法では、国家安全というのは、政権が内外の脅威に侵されない状態だと規定しています。それは人民の福祉や経済よりも先に記されています。
そして、国家分裂や政権の転覆にあたるような行為を、徹底して処罰するとしています。要するに、共産党政権を絶対に潰させない、アメリカが後ろで応援している民主主義は嫌だと。
その意味では、香港はかつてのベルリンの壁のような位置づけになってきました。つまり東西のイデオロギーが衝突する象徴のような存在になっているのです。
山川:興梠さんのお話をお聞きしていると、習主席は、香港が地盤沈下しても構わない。そのくらいの不退転の決意で民主化阻止に動いているようにも見えます。
興梠氏:習主席はよくボトムラインという言葉を使います。絶対に譲れないラインを決めています。それは共産党政権の持続です。そのためには、ある程度、経済が犠牲になっても構わないと考えているふしがあります。
もちろん、強く出ればアメリカは妥協するのではないかという読みもあっての賭けでしょう。ただ、アメリカが金融制裁など、強く出てきたら、それはそれで仕方ないと、腹をくくっているような気がします。
角谷:世界がコロナウイルスで大変なときに、米中の対立がさらに強まっているというのは……。
山川:本当に由々しき事態ですね。中国はむしろ混乱に乗じて、というところもあるのでしょうか。
興梠氏:確かに中国のいろいろな論評を見ていると、アメリカは今、力が衰えていると書いてありますね。
ただ、同時に中国政府もコロナで厳しい立場に置かれています。初動段階でしっかりとやらず、隠ぺいしてしまったことは明らかですから。本当は習主席はかなり気にしているはずです。全人代の政府活動報告の最初に、習主席はしっかりやったと書いたくらいですから。
経済も厳しいし、失業率も高くなっている。アメリカとの貿易もこれからどうなるか分からない。こうしたときに求心力をつけるためには、強く出るしかない。香港だけでなく、南シナ海でも尖閣諸島でも、強気の行動に出ているのはそのためです。周辺国と対立が深まるほど、軍の士気は上がり、自分の基盤も強まるはずだ、という思考になっているのかもしれません。
山川:一番気の毒なのは香港に住む人たちですね。米中の代理戦争の犠牲者となろうとしている。
角谷:これからの動きも見ていかなければいけませんね。興梠さん、どうもありがとうございました。
(注:この記事の一部は、BSテレ東「日経プラス10サタデー ニュースの疑問」の番組放送中のコメントなどを入れて、加筆修正しています)
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