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 中国の長江中流域に建設された三峡ダムは世界最大の多目的ダムだ。気候変動を原因とする昨今の大雨により、「三峡ダムは危険だ」との報道も散見された。日本の国立環境研究所で主席研究員を務め、建設中から三峡ダムが長江流域に与える影響を研究してきた徐開欽氏は「三峡ダムを時限爆弾のように表現するのは疑問だ」と語る。徐主席研究員に三峡ダムの運用について聞いた。

徐開欽(じょ・かいきん)
国立環境研究所 主席研究員

1962年中国福建省生まれ。83年武漢水利電力学院(現・武漢大学)工学部修了後、84年に中国政府派遣の留学生として東北大学工学部へ。90年、同大大学院工学研究科博士課程を修了。同年新日本気象海洋(現・いであ)研究員、92年東北大学大学院助手、96年に同助教授。97年から国立環境研究所水土壌圏環境部主任研究員、流域圏環境管理プロジェクト主任研究員、2008年からバイオエコ技術研究室室長、環境修復再生技術研究室室長などを経て16年から現職。

三峡ダムについては海外メディアなどで集中豪雨による危険性が指摘されてきました。ダムの貯水量に関するリスクはあるのでしょうか。

徐開欽氏(以下、徐氏):この質問にお答えするには、まず三峡ダムに関する基本情報と洪水対策期間、貯水時期などを整理する必要があります。

 三峡ダムは長江三峡のうち最も下流にある西陵峡の半ばに建設された重力式コンクリートダムであり、総貯水量は正常貯水位175mで貯水量は393億m3に達します。これは黒部ダム湖の約200個分に相当します。

 湖水面積は1084km2で琵琶湖(約670km2)の約1.6倍。湖長は約660kmで東京と姫路間の距離です。堤頂部の標高は海抜185m、長さは2335m、幅は40mにもなります。ダム下流平均水位66mを考えると、目で見えるダム全体の高さは47階建ての高層ビルに相当します。

 三峡ダムの建設には17年の歳月を要しました。この計画の主な目的は、長江中下流域の洪水防御です。三峡ダムを洪水対策で運用する期間は毎年5月末から9月末まで。10月からは正常貯水位である175mまで水をため、渇水期にその水を使うことで5月中旬には145mまで水位が下がるサイクルとなります。したがって、毎年10月末ごろには175mまで水がたまっているのです。

 今夏、中国では洪水被害が目立ち「水位175mに近づいた」とメディアが騒ぎました。8月22日時点では、三峡ダム運用以来、洪水対策期として最高水位となる167.6mに達しました。しかし、175mまでの貯水位は長江の水位維持や水力発電、水資源調達などに利用するためのものです。この167.6mという水位は正常貯水位175mまで余裕があります。

 仮に、正常貯水位の175mに達しても吐水による対応が可能です。167.6mの水位で崩壊するようなダムなら、毎年秋以降に水位175mまで貯水するような運用はあり得ないでしょう。

2020年8月19日に撮影された三峡ダムの様子。貯水位の上昇を懸念する声が上がっていた(写真:新華社/アフロ)

175mまでの貯水は通常運用の範囲内

昨今は世界的な気候変動で突発的な豪雨災害も発生しています。こうした変化があっても三峡ダムは安全だと言えるのでしょうか。

徐氏:三峡ダムの総土砂掘削量は1億283万m3、コンクリート打設量は2794万m3、土砂盛土量は3198万m3に達します。過去に世界最大だったブラジル・パラグアイ国境に位置するイタイプ水力発電所と比較すると、盛土量はほぼ同じですが、コンクリート打設量は3倍になります。コンクリート強度もはるかに高いものです。

 豪雨が続いて水位が175mを超えたとしても、緊急時には最大で水位180.4mまでは水をためることが可能です。そもそも長江には数多くの支流があり、三峡ダムの上流域にも新しい大型ダムが建設されています。こうして流域全体で貯水量をコントロールする仕組みを整備し続けているため、突発的な豪雨だからといって三峡ダムが崩壊するという事態には陥らない仕組みをつくっているのです。

 確かに、何事も100%の安全はありません。特に巨大建造物であるほど有事の際に想定されるリスクも高くなるため、万が一に備える綿密な対策が必要不可欠でしょう。例えば、東日本大震災での福島第1原子力発電所の事故のようなケースです。しかし、だからといって三峡ダムを決壊して大災害をもたらす「時限爆弾」というような表現で不安をあおることには疑問を覚えます。

三峡ダムの建設当時に長江流域への影響を調べていた徐開欽主席研究員

三峡ダムの治水能力は当初計画通りに十分発揮されていると言えるのでしょうか。