三菱重工業傘下の三菱航空機で小型ジェット機「スペースジェット」の開発責任者を務めていたアレクサンダー・ベラミー氏(40)が6月30日、ひっそりと会社を去った。かつて「MRJ」と呼ばれた新型航空機の開発が遅れる中で4年前に合流。2018年から開発トップとして事業を引っ張ってきたが、三菱重工の日本人社員らと意思を通わせることはできなかった。

6月30日付で三菱航空機を去った「スペースジェット」の開発責任者、アレクサンダー・ベラミー氏(写真:おおさきこーへい)
6月30日付で三菱航空機を去った「スペースジェット」の開発責任者、アレクサンダー・ベラミー氏(写真:おおさきこーへい)

 適切な規模の活動でスペースジェットM 90の型式証明取得に向けて取り組むべく、段階的に組織・活動の見直しを実施する――。三菱航空機は6月15日、「今後の運営方針及び役員人事のお知らせ」とするニュースリリースでそう記した。

 三菱航空機は90席級の「M 90」と並行して、70席級の「M100」の計画を進めていた。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大で航空機業界は甚大な影響を受け、三菱重工としてもスペースジェットに割く資金が従来のようには取れない。M100は事実上の開発凍結となり、計画を率いていたベラミー氏はお役御免となった。

 ベラミー氏は三菱航空機に入社する前の5年間、競合のカナダ・ボンバルディアに籍を置いていた。ボンバルディアでは小型旅客機「Cシリーズ」の開発メンバーで、計7機の飛行試験機に携わり、商業飛行に必要な「型式証明」取得をリードした。それ以前は英国のBAEシステムズに勤務。いわゆる世界を渡り歩く「航空機開発のプロ」だ。

 三菱航空機に加入したのは「今ゼロから造っている航空機は世界でMRJだけ。日本の新たな産業をつくるという意味でも魅力的だった」(ベラミー氏)から。ただ、入ってみると「1つのゴールに対しバラバラになっている組織だと感じた」という。当初は飛行試験のプログラムマネジャーだったが、当時の宮永俊一社長(現会長)にリーダーシップを評価され、18年に「CDO(最高開発責任者)」に昇格した。

外国人技術者を一気に増やしたが……

 宮永氏がベラミー氏に期待したのは開発面だけではなかった。MRJ開発が遅々として進まない根本には、航空機部門がある「名古屋」から本社に適切な情報が伝わらない「縦割り」の問題があると考えていた。そこで16年末以降、エキスパートと呼ばれる外国人技術者を数十人から300人規模に増やし、独善的だった名古屋の「開城」を試みた。

 この仕上げがベラミー氏の開発トップへの起用だった。効果は確かに出た。宮永氏とベラミー氏とのホットラインで指揮命令系統は統一されて開発も軌道に乗り、18年半ばには宮永氏が「もやは晴れた」と言い切った。ただ、この状況も長くは続かなかった。開発、組織の両面で、新たな綻びが見え出したのだ。

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