政府が9月27日に東京で安倍晋三元首相の国葬を行うことを決めた。元首相の事績は在任中にも退任後にも評価が繰り返され、亡くなった後の論評も大同小異と言っていい。だが、大半は元首相が主導したアベノミクスに対するものだ。「道半ば」「成果はあるが、未達も少なくない」……。それはそれで否定できないが、安倍政治、そして日本の政治状況に視野を広げれば、別の姿が浮かんでくるように感じる。突然の死去から約3週間、改めて安倍時代を振り返りたい。

12年末に政権の座に復帰した安倍氏が翌年春に打ち上げたアベノミクスは、日本経済の復活を狙う成長志向の政策だった。その前、09年9月から3年余りの民主党政権は、08年秋のリーマン・ショックと11年3月の東日本大震災に直撃された。IMF(国際通貨基金)によると、09年の実質GDP(国内総生産)成長率は、前年比5.7%の大幅減。名目GDPの規模は07年の539兆円から大きく落ち込み、09~12年は500兆円前後で停滞を続けた。
当時、経済界が繰り返し発したのが、「円高」「高い法人税率」「厳しい労働・解雇規制」「海外との経済連携協定の遅れ」「厳しい環境規制」「電力不足」という「6重苦」が日本経済の巨大な重しとなっているという悲鳴だった。
アベノミクスが打ち出した「3本の矢」は、1本目の「大胆な金融政策」で日銀による異次元の金融緩和によって円高を修正しようとするものだった。09~12年は、1ドル100円を割り、70円台に達する超円高に見舞われ続けた時代だった。欧米が大規模金融緩和で先行し、インフレ目標も高く設定したのに対し、日本は遅れ、当初はその目標も低かったことに要因があったとされる。アベノミクスはそこに思い切った金融緩和を促した。

2本目の「機動的な財政政策」は、文字通り財政出動で需要を生み出そうとするものだった。約10兆円の経済対策を実施し、震災からの復興や企業の設備投資促進など実需を創出しようとした。いずれも停滞した日本経済をまずは短期的に押し上げようというものだ。
そして3本目が「民間投資を喚起する成長戦略」であり、眼目は民間需要を生み出し、それによって生産性を高め、雇用や報酬を増やしていくというものだった。短期で経済をブーストし、中長期的に民間サイドが投資と生産性向上をしていくというシナリオである。
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