安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選は14日午後の両院議員総会で投開票が行われ、菅義偉官房長官が岸田文雄政調会長と石破茂元幹事長を破って新総裁に選出された。菅氏は16日に召集される臨時国会で衆参両院の本会議での首相指名選挙を経て、新首相に就任する運びとなる。雪深い秋田県出身の顔と、横浜を地盤とする改革派政治家の2つの顔を併せ持つ菅氏。その横顔と人脈の一端とは。

新総裁に選出された菅義偉氏は第2次安倍晋三政権の発足以降、官房長官として歴代最長政権を支えてきた。
安倍首相が8月28日に辞任を表明するまで総裁への意欲を一度も公言していなかったが、党内情勢を読んで出馬を決断。「政権の継承」を前面に掲げた。二階俊博幹事長らの支持を皮切りに党内7派閥のうち5派閥から支持を得て、一気に本命に躍り出た。
地方票も着実に積み上げ
14日の投開票は党所属の国会議員票394、都道府県連に3票ずつ割り振った地方票141の計535票で争われた。結果は377票を獲得した菅氏が、89票の岸田文雄政調会長、68票の石破茂元幹事長を破った(有効投票数は534)。国会議員票で2氏を圧倒し、地方票も着実に積み上げた。
菅氏は総裁選出後、「私自身の全てを傾注し、日本のため、国民のために働くことを誓う」と語った。
菅総裁の任期は安倍首相の残り任期である2021年9月末までとなる。菅氏は直ちに自民党役員人事に着手。16日に召集する臨時国会で実施する衆参両院の首相指名選挙で首相就任が決まり、組閣を経て新内閣が発足する運びとなる。
長期政権の後を引き継いでこの国のかじ取り役を担うことになった菅氏は無派閥の非世襲議員。祖父が岸信介元首相、父が安倍晋太郎元外相と政界のサラブレッドだった安倍首相とは対照的なたたき上げの政治家だ。
雪深い秋田県のイチゴ農家の長男に生まれ、高校卒業と同時に上京した。菅氏本人が記者会見などで語るように、「すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じた」ためだったという。
都内の段ボール工場で働き始めたがすぐに退社し、アルバイトで入学資金をため、2年遅れで法政大学に入学した。卒業後、いったん民間企業に就職したが、「この国を動かしているのは政治ではないか」との思いに至り、法政大からの紹介がきっかけとなって26歳で横浜選出の衆院議員だった小此木彦三郎氏の秘書にたどり着いた。
国政進出は47歳の遅咲き
秘書を11年務めた後、横浜市会議員を2期務め、1996年の衆院選で初当選した。この時47歳。地縁も血縁もない中、遅咲きの国会議員人生のスタートだった。
小此木氏の盟友だった梶山静六・元官房長官を政治の師と仰ぐ。梶山氏が出馬した98年の総裁選は梶山陣営の中心として戦った。平成研究会(現竹下派)や宏池会(現岸田派)を経て2009年以降は派閥に属さず活動している。
北朝鮮による日本人拉致問題への対応を巡って安倍首相と親交を深め、第1次安倍政権で総務相に就任。ふるさと納税の創設などを主導した。
12年12月に発足した第2次安倍政権で官房長官に起用された。政権の屋台骨として危機管理や1日2回の記者会見を担ったほか、携帯電話料金の値下げや外国人観光客の誘致、外国人労働者の受け入れ拡大、農林水産物の輸出拡大といった自らの肝煎りの政策を推進した。
「国民にとって当たり前のことを実現するために改革する」「省庁の縦割りを打破する」――。国会議員になって以降、特にこの2点にこだわって政策の立案・実行を進めてきた、と筆者は折に触れて菅氏から聞かされてきた。
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