「言葉の力」も要件に

 さらに言えば、政治リーダーの要件としてハードルが上がったと感じるのが「言葉の力」だ。コロナ禍のこの1年間ほど、各国の政治リーダーが国民の命と健康に関するテーマについて、国民に何度も協力や取り組みを語りかける場面を目にしたことはなかった気がする。

 評価は分かれるところだが、ドイツのメルケル首相やニュージーランドのアーダーン首相ら「発信巧者」と位置付けられるリーダーについては、おおむね科学的知見や客観的事実に基づいたうえで、時に自然にあふれだすような語り口が共感を呼ぶポイントになったとの見方が多いようだ。

 一方、菅首相の語り口については「事実を淡々と伝えているだけ。熱量が感じられない」(自民中堅議員)といった指摘が相次ぎ、政府のコロナ対応への低評価の一因ともいわれていた。

 そんな首相も、2月2日の会見で初めて透明な板に文字を映し出すプロンプターを用いて手元に目線を落とさず、ゆっくり語りかけるさまが注目された。実は、それ以上に一定の評価を集めたのは記者からの質問に対し、用意した資料を読み上げるのではなく、自らの言葉で答え、思いを述べた場面だったことは示唆的だ。

 発信力や語り口も世界のリーダーと比較されるのが当たり前になった。経済社会が急速に変化する中、日本でも政界への参入をしやすくし、政治家の育成や学び直しを後押しするようなシステムの再構築にもっと目が向けられるべきではないだろうか。

この記事はシリーズ「安藤毅の「永田町・霞が関のホンネ」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。