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 国民1人当たり10万円を配る「特別定額給付金」の支給が始まった。当初は新型コロナウイルス感染拡大で減収になった層に絞って、1世帯当たり30万円を給付する案が政府内では検討されていたが、与野党は猛反発。所得制限を設けると支給事務が煩雑で、公平性も欠くなどとして、一律給付に至った経緯がある。こうしたいきさつのある給付金について、慶応大学経済学部の井手英策教授は「トランプ政権以上のバラマキ」だと手厳しい。「所得制限が社会を分断する」が持論の気鋭の財政学者が今回の一律給付を批判するのはなぜか。

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、国は1人一律10万円の給付を決めました。「所得制限が社会を分断する」が持論ですが、これをどう見ていますか。

井手英策(いで・えいさく)氏
慶應義塾大学経済学部教授。1972年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て現職。専門は財政社会学。総務省、全国知事会、全国市長会、日本医師会、連合総研などの各種委員のほか、小田原市生活保護行政のあり方検討会座長、朝日新聞論壇委員、毎日新聞時論フォーラム委員なども歴任。著書に『幸福の増税論 財政はだれのために』(岩波新書)、『富山は日本のスウェーデン 変革する保守王国の謎を解く』(集英社新書)、『18歳からの格差論』(東洋経済新報社)など。2015年度大佛次郎論壇賞、2016年度慶應義塾賞を受賞。

井手氏:少し遠回りになるかもしれませんが、まずは国と地方自治体の役割をきちんと整理することから始めたいと思います。

 政府というと十把ひとからげにして議論してしまいますが、そもそも中央政府と地方政府というのは機能も役割も全然違います。

 連邦レベルでは規定のない米国は例外として、国家というのは基本的にそれぞれの憲法の中で国民の生存権というものを規定しています。つまり国民の命を守るのが国の役割で、生きていくのが困難な人たちを助けるために、所得制限を設けて現金を給付しているのです。

 例えば、生活保護がそうです。年金も基本的にはそう。現金による所得保障ですよね。少し珍しい例では、地方交付税も財政力が十分でない地方自治体の“生存保障”をしているわけです。

国は生存を、地方自治体は生活を保障する

なるほど。憲法25条ですね。それでは地方自治体の役割はなんでしょうか。

井手氏:地方自治体の役割は、命を保障したその先にある暮らしの保障です。生活保障と僕らは呼んでいますが、これは現金ではなくてサービスの形をとります。年金や生活保護といった現金を提供する国家とは異なり、地方自治体は基本的に教育、医療、介護、消防、警察といったサービスを提供しています。

 江戸時代には寺子屋で初等教育が行われていたように、いずれも本来は地域コミュニティーに属する人たちが担っていた仕事です。だから火事が起きたときに、「あなたの家はお金持ちなので、自分で消火してください」、あるいは「消火にかかった費用を払ってください」なんてことにはならない。

 以上を整理すると、国は命を保障するので困っている人に現金を提供し、地方自治体は構成メンバー全員に対して公平にサービスを提供するということになります。財政を通じて果たすべき役割が違うんです。

国と地方の財政上の役割の違いを踏まえた上で、改めて今回の10万円給付をどう評価しますか。

井手氏:暮らしが厳しい人たちの生存保障に集中しないで、なぜみんなに現金を配るのか。全く理解できません。非常に違和感があります。冒頭に整理したように、これは財政学の理論から言っておかしい。確かに僕は、所得制限を入れると社会が分断されると主張してきましたが、それはサービスについて言っているのであって、現金をみんなに配れと言ったことは一度もありません。

ヨーロッパで一律の現金給付はしていない

所得制限を設けるよりも一律の現金給付のほうが効率的で公平だという意見もありますが。

井手氏:ある人は、例えばこうおっしゃいますね。

 住民税非課税世帯で、仮に世帯年収300万円を所得制限の線引きにしましょうか。すると、300万円以下の人が30万円をもらえて、310万円の人は30万円をもらえない。今は経済危機で、年収が500万円から310万円になって困っている人もいるのにおかしいじゃないかと。

 あるいは事務手続きが煩雑になるとおっしゃる方もいらっしゃいます。だから困っている人に30万円じゃなく、みんなに10万円を配るんだと。

 でも、本当に困っている人たちに配る金額を30万円から10万円に減らして、そして僕のような日々の生活に困っているわけではない人にまでお金を配るというのはどう説明をつけるのでしょうか。

 実は、僕は今、自宅の庭造りの工事をしているんですよ。