「止まらない本離れ」「街から本屋が消える」……。暗い話が目立つ出版業界だが、そんな“衰退論”を覆そうとする人々がいる。顧客が本に出合う場を変え、出合い方を変え、出合う意味までも根本から考え直す。そこには他業界にとっても価値がある、人口減時代に生き残るマーケティングのヒントがある。
2019年11月、建て替えのために16年から休業していた東京・渋谷の商業施設、渋谷パルコがリニューアルオープンした。200弱のテナントの大部分はアパレルブランドの店舗や飲食店が占めるが、6階には任天堂やカプコン、集英社「少年ジャンプ」などの公式ショップが入居し、ゲームや漫画といった日本企業発のポップカルチャーを前面に押し出している。現代的なエンターテインメントを柱の一つに据えることで従来のファッションビルのイメージを覆し、「唯一無二の次世代商業施設」のコンセプトを鮮明に打ち出した。
しかし、渋谷の新名所の誕生を喜ぶ記事やSNS上の投稿に混じって、「残念だ」「寂しい」という落胆の声も次々と上がった。その理由は単純。渋谷パルコには書店のテナントが一軒も入っていないからだ。
2019年11月にリニューアルオープンした渋谷パルコ(写真:アフロ)
渋谷では1970年代から90年代にかけて、堤清二率いるセゾングループの開発によって渋谷パルコなどの商業施設が誕生し、若者文化が花開いた。その発信を担っていたのが雑誌や書籍だ。90年代に渋谷パルコ内で営業していたパルコブックセンター渋谷店はあくまで総合書店の品ぞろえを守りながらも、アートやサブカルチャーに関連する雑誌・書籍を数多く取り扱い、一種の「観光地」として愛されていた。
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2000年にパルコブックセンターがリブロと経営統合し、その後日本出版販売(日販)に買収されてセゾングループを離脱しても、パルコブックセンター渋谷店は街を代表する書店の一つであり続けた。16年の渋谷パルコ休業に合わせて同店が閉店した際にはそれを惜しみ、再開を望む声が数多く寄せられた。だからこそ、リニューアル後の渋谷パルコに書店がないことに対して落胆の声が相次いだのだ。
渋谷パルコ休業の前後で、街の書店事情は大きく変化している。15年には渋谷パルコにほど近い商業施設、渋谷モディ内にHMV&BOOKS TOKYO(現HMV&BOOKS SHIBUYA)が開店した。書籍以外に音楽・映像ソフト、雑貨なども取り扱い、トークショーやサイン会といった集客イベントにも積極的だ。16年には神宮前の青山ブックセンター本店がリニューアル。文芸書や思想書、ビジネス書を強化し、独自の選書で注目を集めるようになった。
一方で、JR渋谷駅前のスクランブル交差点近くの好立地にあったブックファースト渋谷文化村通り店は17年に閉店した。総合書店の淘汰と集中は確実に進んでいる。こうした状況下で、渋谷パルコが書店テナントに広い面積を割く意味は確かに薄まっている。
そんな中で今年2月、渋谷パルコの入り口近くに突如として、赤く大きな文字で「本」と書かれたサイネージが現れた。
サイネージが指し示すのは、渋谷パルコ8階の「ほぼ日曜日」。ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」などで知られるほぼ日がパルコ劇場の隣で運営するイベントスペースだ。8階に上がってみると、看板には「本屋さん、あつまる。」と書かれている。
「本屋さん、あつまる。」は今年2月22日~24日にかけて開かれた本の販売イベントだ。ほぼ日が都内の書店や出版社を集め、販売ブースを並べた。ほぼ日以外には、前出の青山ブックセンター本店、千駄木の往来堂書店、赤坂の「双子のライオン堂」という3書店に加え、光文社(古典新訳文庫)、NHK出版(「100分de名著」、「学びのきほん」)、新潮社(小野不由美著『十二国記』シリーズ)、ミシマ社の出版社4社が出店した。
書店を集めた販売イベントといえば、先立って今年1月31日~2月1日に二子玉川で開催され、2日間で3万人を集めた「二子玉川 本屋博」を、この連載で紹介した。
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それに対して「本屋さん、あつまる。」の来場者は1日あたり1300~1400人ほどと、比較的小規模だ。しかし、同イベントには「本屋博」とは異なる狙いがあった。
「来場者とのコミュニケーションを第一に考えて出店者に声をかけた。本に関する基礎知識が豊かで、臨機応変に本をお薦めできる人だ」
そう語るのは、「本屋さん、あつまる。」の旗振り役である、ほぼ日取締役でほぼ日の学校長の河野通和氏だ。このイベントの目的は、出店者が来場者とじっくり話して、本を紹介し、読書への入り口を提供すること。そのために河野氏は書店員や編集者の人柄やコミュニケーション能力を重視して企画を取りまとめた。
実際、来場者の多くは「ほぼ日刊イトイ新聞」のファンであり、必ずしも読書家ばかりではなかった。しかし新潮社の「十二国記屋」では、『十二国記』シリーズを長く担当してきた編集者の周りに人だかりができ、普段接することのできない彼女の話を聞くために連日訪れる人も現れたという。
ほぼ日のスタッフはそうした来場客に声をかけ、ブースからブースへと人の流れをつくっていく。会場の隅には酒や軽食を出すバーを設け、来場者が買った本をその場で読んだり、腰を落ち着けて他の来場者と話したりできるよう計らった。「来場者、出店者の気分を盛り上げ、より楽しくするためには何をすればいいかと考える。それがほぼ日らしさだと思う」と河野氏は話す。
「本屋さん、あつまる。」の企画を手掛けた、ほぼ日取締役で「ほぼ日の学校」学校長の河野通和氏(写真:加藤康)
河野氏はそもそも、キャリアの大半を通じて雑誌に携わってきた人物だ。東京大学文学部ロシア語ロシア文学科を卒業し、1978年に老舗出版社の中央公論社(現・中央公論新社)に入社。「婦人公論」「中央公論」などで編集長を務め、2008年に退社。10年に同じく老舗出版社の新潮社で季刊誌「考える人」の編集長に就任し、17年の休刊まで同誌を率いた。
しかし同年にほぼ日に入社後は、紙の雑誌ではなくリアルな学びの場をつくることで、人が本と出合える機会をつくろうと動いてきた。シェイクスピアや万葉集といった古典を「知のエンターテインメント」として楽しむ「ほぼ日の学校」を開校し、様々なゲスト講師を招いたライブ講座を企画している。
「アカデミックな講座ではなく、カルチャーセンターでもビジネスセミナーでもない。より目的が曖昧で、誰でも入りやすいものを目指している」と河野氏は語る。ほぼ日社長の糸井重里氏が提示した「古典を学ぶ」というお題に対し、雑誌作りを通じて培った企画、人選、伝え方のノウハウを駆使して学校をつくり上げた。「実は、雑誌の特集を作る仕事と似た部分も多い」(河野氏)という。
並行して、河野氏は「学校長」だけでなく「書店主」の顔も持つようになる。ほぼ日が17年から開催する「生活のたのしみ展」で、河野書店と名乗って本を紹介・販売し始めたのだ。小さなブースに30冊ほどを選んで並べ、お薦めの本やプレゼントにふさわしい本を求める客と話し込んでいるうちに、驚くほど個人的な内容にまで話が及ぶことがあった。「書店員と来店客は浅い関係だからこそ、本を媒介にして深い話ができることがある。そうした親密な感覚が小型書店の良さだと思う」(河野氏)。
2019年4月に丸の内で開催された「生活のたのしみ展」の会場の様子
人が本を読む理由は、教養への憧れや文化的な関心だけではない。目の前で誰かの話を聞いたり、誰かと言葉を交わしたりした体験が、思いがけず読書への入り口になることがある。そんな手応えを得た河野氏は、続いて読者が書店員や編集者と直接触れ合える空間を構想した。その結果が「本屋さん、あつまる。」だった。
リニューアル後の渋谷パルコが6階に任天堂の直営ショップなどを呼び込んだことについて、河野氏は「考えた戦略だと感じた」と評する。「以前のパルコにはハイソ(上流階級的)な雰囲気があったが、今は少し違う。ゲームなどのコンテンツに対する好奇心や、クリエーターへの敬意が感じられる」(河野氏)。好奇心をかき立て、作り手とのつながりを感じさせるという狙いは、「本屋さん、あつまる。」にも共通する点だ。
「本屋さん、あつまる。」の開催時期は今年2月下旬。新型コロナウイルスの感染拡大への不安が高まる時期だったが、消毒液を用意するなどの対策を講じて無事に終了した。しかし今年4月以降、外出自粛の動きは強まり、商業施設の多くが臨時休業に入っている。ただ、この状況は考えようによっては、読書への格好の入り口なのかもしれない。「行動の自由が制限されていても、本の中では自由に考えを巡らせ、旅をすることもできる」と河野氏は話す。
書店なき渋谷パルコに期間限定で掲げられた「本」のサイネージはどこか皮肉めいた色を帯びてもいたが、本と読者の出合い方が変化しつつある今を象徴する光景だったのかもしれない。いずれにしろ、外出自粛や休業が続く中で、本と出合う場の価値が見直されていることは間違いない。
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