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 終身雇用が崩壊し、日本の雇用環境が大きく変わろうとしている中で、個人はどのように生きていったらいいのか。2020年3月16日号特集「どうする? 働かないおじさん」(3月16日発売)では、「働かないおじさん」に陥るマインドセットから脱却し、ミドルが復権するためのレシピを伝授する。電子版では、特集の一部を先行して公開する。

 前回は、今年6月で49歳になるスキージャンプの葛西紀明選手に、ミドルになっても若手に負けず現役として活躍するための心構えを聞いた。今回は、ミドルになって初めて、「やりたいこと」に気が付いたというYahoo! アカデミア学長の伊藤羊一氏に話を聞く。伊藤氏は、日本興業銀行に入行後、36歳で文具大手のプラスに転職。40歳を超えるまで「やりたいことなどなく、自分で自分の人生を生きる」ということを知らなかったという。

伊藤羊一(いとう・よういち)氏
東京大学経済学部卒業後、1990年に日本興業銀行に入行。2003年にプラスに転職。2015年にヤフーに転職しYahoo! アカデミア学長として次世代リーダーの育成に取り組む。自身の会社ウェイウェイ代表としてヤフー社外でも人材育成などにおいて積極的に活動している(写真:吉成大補、以下同)

伊藤さんは、「40歳を過ぎるまで、やりたいことなどなかった」とお話しになっています。リーダーなどの人材育成についてヤフー社内のみならず社外でも積極的に活動している今の姿からは想像しにくいのですが。

伊藤羊一氏(以下、伊藤氏):40歳とか50歳とかになって、キャリア研修などで「自分の人生を生きてください」と会社からいきなり言われて戸惑っている人も多いと思います。僕自身も、そんなことに目覚めたのは40歳を超えてからなんですよ。

 クラゲみたいに軸がないまま、就職が最高潮に好調だった1989年にみんなが行きたいという会社から順番に受けていって、何も考えずに22歳で日本興業銀行に入ったわけです。

 だけど、あまりにもいいかげんに生きてきたから、26~27歳のときにメンタルをやられてしまうんです。何とか復活して35歳くらいまで一生懸命仕事をしたんですが、自分の人生を生きるという感じではなくて、ただ単に頑張って仕事をしていました。

 プラスに転職したのは36歳で、そのときも何か面白い仕事ができるかもしれないという感覚で、普通のビジネスパーソンと同じです。一生懸命仕事をしたから平社員から部長、副本部長へと組織の階段も上がっていきました。

 そんなとき、東日本大震災が起きました。43歳のときです。自分で言うのもなんだけど、頑張って仕事をしてきたから優秀にはなっていたと思うんです。だけど、自分の人生を生きていなかったということを、そこで知りました。

 正確に言うと、まだ自分の人生を生きることに目覚めたわけではなくて、自分で決めなければいけない、ということを初めて知ったという段階です。僕もそうでしたが、日本のビジネスパーソンって多くの場合、自分で意思決定していないと思うんです。

意思決定していない、というのはどういうことですか。

伊藤氏:部長だ、副本部長だといいながら、どれだけ自分で意思決定できていますか、という話です。相談や議論はしていても、本当の意味で、自分自身で死ぬほど考えて意思決定しているのか。それができていないから、50歳目前にして会社で実施されるキャリア研修などで自分の人生について問われたとき、「分かりません」みたいになってしまう人が多いのではないでしょうか。きっと、僕も震災に直面していなければ、そうなっていたと思います。

 震災が起きたとき、物流を復旧させるために次から次へと出てくる問題について、即座に状況を判断して自分で意思決定していかなければならなかった。失敗したとしても、誰かに責任を押しつけることはできない。本当に重要なことは、多数決では決められないんです。そのことをとことん突き付けられたのが震災でした。

 ただ、そこで自分で意思決定することの大切さを知っても、それが自分のキャリアの決定と連続しているということは、まだ分からなかった。ここ最近、ヤフーに入社した頃ですよ、それが分かったのは。結局、自分の人生も自分で決めなきゃ駄目なんだと。正直なところ、プラス社内では順風満帆で仕事していたときにヤフーで社員向けのリーダー教育をやってくれと誘われて、「あれ? こういうときは誰も決めてくれない。自分で決めないといけないんだな」と感じたんです。