終身雇用が崩壊し、日本の雇用環境が大きく変わろうとしている中で、個人はどのように生きていったらいいのか。2020年3月16日号特集「どうする? 働かないおじさん」(3月16日発売)では、「働かないおじさん」に陥るマインドセットから脱却し、ミドルが復権するためのレシピを伝授する。電子版では、特集の一部を先行して公開する。
今回は、今年6月で48歳になるスキージャンプの葛西紀明選手に、ミドルになっても若手に負けず現役として活躍するための心構えを聞いた。

今年6月で48歳。僕もミドル真っ盛りの世代です。土屋ホームのスキーチーム監督も兼ねていますが、現役バリバリです。今はワールドカップ(W杯)の遠征メンバーから外れていますが、これもよくある波の一つ。また次の上昇期は来るはずです。
世界の舞台に出たのが1988年ですからもう32年になります。昭和、平成、令和と戦ってきました。体力に衰えは感じていませんよ。若手と一緒にトレーニングしても僕の方がスタミナはある。若い頃のような筋力はありませんが、力の伝え方は今の方が上です。
振り返れば、浮き沈みの激しいジャンプ人生でした。「周期」があり、その中で進化し続けてきた実感があります。飛び方も用具も、トレーニングも進化していますが、それに合わせて、自分も。挫折を重ねることで生き残ってきました。
最初の挫折は92年、飛び方のトレンドがV字に変わった時です。スキー板が見えないことにとてつもない恐怖を感じ、1カ月まともに飛べませんでした。怖くて足を閉じてしまうことの繰り返しで、初めて出た五輪(アルベールビル)も全然だめでした。
その後、スキー板より前に顔が出る飛型を取り入れ「カミカゼ」と呼ばれました。でも、その時も、恐怖は克服していませんでした。こう飛んだ方が風を受けるという感覚があってあの形にするしかなかった、というのが実際のところです。
V字に慣れた頃、次の試練がありました。94年の合宿で飛んだ直後に空中分解し、落ちて鎖骨を折りしました。2カ月後にも転倒して再度骨折。飛ぶことが怖くなり、ちょっとの風にもびびって失敗するようになりました。恐怖心はその後、10年間引きずりました。
その間に98年の長野五輪がありました。国内開催ですし、97年に母親が亡くなっていたこともあって相当懸けていました。94年のリレハンメル大会は逆転負けの銀メダルだったので、どうしても金メダルを取りたかった。
ただ、この時もうまくいきませんでした。97年末に足を痛めて金メダルを取った団体メンバーに入れなかった。僕の第3の挫折です。
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