第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)が終盤戦を迎えている。国益のぶつかり合いが激しさを増し、共通の目標づくりが難航している。多くの国が2050年に温暖化ガス排出量を実質ゼロにするという目標があるものの、より実効性のある30年時点の目標は曖昧な国が多い。そのため、国連は各国の目標を勘案しても30年には10年比で排出量が13.7%増えると分析している。環境活動たちは、リーダーたちの美辞麗句より行動を求めている。

 ただ、世界の中には、どこよりも早く行動を起こしている企業がある。新しい市場で勝つためには、先行することが不可欠であるためだ。その好例が、フィンランド企業の再生燃料世界最大手ネステだ。20年以上前に再生燃料の需要が高まることを予測し、開発を始めた。持続可能な航空燃料(SAF)でも先行し、遅れて参入する石油メジャーなどをリードしている。

 これまで地域ごとに廃食油を回収し、小規模の再生ディーゼル燃料をつくる草の根の活動があった。同社はこれを産業化したと言える。再生燃料の市場がなかった20年前に、経営陣はどのような判断を下し、周囲はどのような反応だったのか。SAFをいかに強化したのか。ネステのピーター・バナッカー最高経営責任者(CEO)のロングインタビューをお届けする。

ネステはオランダのロッテルダム工場で再生燃料を生産する(写真:Yuriko Nakao)
ネステはオランダのロッテルダム工場で再生燃料を生産する(写真:Yuriko Nakao)

以前は再生燃料という市場がありませんでした。ネステはいつごろから再生燃料事業を始めたのでしょうか。

ピーター・バナッカーCEO(以下、バナッカー氏):ネステは約70年前にフィンランドの石油精製会社として創業しました。現在の戦略は、再生可能エネルギーのグローバルリーダーになることです。フィンランドのような人口が少ない国では、世界の大企業と競い、成長を続け、長く事業を続けていくには、常に革新的であることが求められます。

 ネステは1996年に再生燃料の技術を開発しました。最初の技術投資はフィンランドで始まり、2007年にはすでに化石燃料由来のディーゼルよりも生産規模が大きくなっていたのです。その後、10年、11年に大胆な決断で大幅に規模を拡大し、国外には最初にシンガポール、その後オランダのロッテルダムに進出しました。

 もちろん、それには大変な勇敢さを必要としました。07~10年当時を振り返ると、世界でサステナビリティーに関する議論は盛んに行われていましたが、実行に移されることは多くありませんでした。ネステは勇敢さとイノベーションを持っており、とても大胆な決断を下したのです。社会にはまだそれを受け入れる土壌ができておらず、ネステが新たな市場を創り出す必要がありました。

 その動きには多くの疑念が寄せられました。当時は、内部の利害関係者や投資家、株式市場、また従業員でさえも、それが正しい戦略なのか疑問を持っていました。振り返ってみれば、そうした決断を下し巨額を新技術に投資していたネステは、明らかに時代を先取りしていました。

 今ではネステの利益の90%以上が、再生可能エネルギーから生まれています。これは素晴らしいことですし、今では誰もが再エネに注目しています。ネステでは現在、航空事業に注力しているところです。

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