メイ政権では早々と外相を辞任
ブレグジットの混迷に墓穴を掘ったのが、16年7月に就任したメイ前首相だ。英議会で与党の保守党が過半数を握っていたが、ブレグジットの議論を進めやすくするために17年6月に圧倒的な多数獲得を狙って総選挙を実施した。その結果、まさかの敗北で保守党は過半数割れに追い込まれ、メイ首相の政権基盤は弱くなり、迷走が続いていく。
ジョンソン氏は外相としてメイ政権の顔でもあった。それにもかかわらず、18年7月にはメイ首相の離脱案に反対し、泥舟からいち早く逃げ出すように外相を辞任した。「英国はEUの植民地になってしまう」と述べ、メイ首相の方針に強く反対する姿勢を見せた。
メイ首相に対して国民の好感度は低くなかったが、打つ手打つ手がことごとく裏目に出た(参照:EUの圧勝。果実少ない英メイ政権の離脱交渉)。メイ首相は18年11月にEUと離脱協定案で合意したものの、同案は英領北アイルランドとEU加盟国アイルランドの間で厳しい国境管理を避けるため、解決策で見いだせなければ英全土をEUの関税同盟に残すという「安全策」を盛り込んだ。
強硬派からは離脱後もEUのルールに縛られ、「EUの属国になる」との批判が渦巻き、19年1月に英議会は合意した離脱協定案を否決。投票結果は賛成202票、反対432票。230票差という英国政治史に残る大差での否決となった(参照:総スカン続くメイ英首相のEU離脱案。楽観論に死角)。
19年3月末の離脱日が迫る中、メイ首相は再び離脱協定案を修正し、議会に対して「私の案か、合意なき離脱か」と迫り、合意なき離脱という最悪の事態を交渉の切り札にした(参照:大失敗したメイ首相の脅迫戦法、英議会がEU離脱案否決)。結局、議会を説得できず、10月31日に離脱期限は延期された(参照:英議員の保身が招いた展望なきブレグジット再延期)
もはやメイ首相に政権を運営する求心力はなく、5月に辞任を表明。そこで、満を持して保守党党首、つまり首相に立候補したのがジョンソン氏だった。圧倒的な存在感で対立候補のハント氏を破り、7月に新首相に就任した。
ジョンソン首相は、良くも悪くも国民の注目を集める政治家である。ボサボサの金髪で体当たりのドタバタ劇やジョークを連発し、自ら道化師を演じているようだ。人種差別的な暴言も吐くためアンチも多いが、親しみやすさから人気が高く、政権の支持率は高まった。(参照:ジョンソン新英首相、エセ「庶民派」の危うさ)。
ブレグジット交渉の戦略は明確で、これが今も続いている。常に交渉決裂による合意なき離脱をチラつかせながら、EUに妥協を迫る方法だ。合意なき離脱は、英経済だけでなくEU経済にとっても痛手であることを見透かし、チキンレースを仕掛けている。メイ首相のようにEUと最初から落とし所を探っているような節はない。この交渉姿勢に懐疑的な見方もあったが、徐々に英EU離脱交渉はジョンソン首相のペースになっていく(参照:英首相父「ボリスは離脱延期なら“ハラキリ”だ」)。
ジョンソン首相はEUと離脱協定案をまとめたものの、英議会では反対多数で否決され、10月末の離脱日は20年1月末に延期された。しかし、ここからがメイ前首相と違った。このまま与党が過半数割れした状態では、どんな離脱協定案も否決されるのは明白だったため、ジョンソン首相は総選挙に勝負をかけたのだ。
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