2021年9月8日、米ABCテレビで夕方のニュース番組を見ていると、1992年にニューヨーク市に移住したアフガニスタン人、モハマド・ワリさんの「家族との再会ドラマ」が大きく取り上げられていた。

 ワリさんは、マンハッタンでアフガン料理店を営む経営者だ。夏の休暇中にアフガニスタンに住む妻、アイシャさんと3人の子どもたちに会いに行き、2021年8月6日にワリさんだけ首都カブールの国際空港から出国した。その9日後、カブールがイスラム主義組織タリバンによって陥落。ワリさんは家族といつ会えるかも分からない状態に陥った。

 アイシャさんと一番下の子どもには米国の市民権がなかったが、上の2人の子どもにはあった。そこで家族全員を国際空港に向かわせ、米軍の飛行機で出国させようとしたが、数千人という人が空港に押し寄せたため米軍が設けていたゲートを越えることができなかった。絶望の中、ワリさんが助けを求めたのが、ワリさんの住む地域から選出されたトーマス・スオジ下院議員だった。

 「2人の子どもは米国市民だ。何としても助けなければならない」。こう考えたスオジ議員は「アライド・エアリフト21(AA21)」という、アフガン移民の家族を同国から退避させるのを支援する団体に協力を求めた。最大の難関は、空港に押し寄せる群衆の中、どうやって家族を見つけ出すかにあった。

 目印は、一番小さなヤサーちゃん(1歳)に巻いた赤いバンダナだった。ヤサーちゃんを空高く掲げ、群衆の中でもどこにいるかが分かるようにした。この方法が奏功し、AA21のメンバーは無事に家族と会うことができた。

 8月23日にまずはカタールへ。ホテルで約1週間、不安な夜を過ごした後、9月1日にドイツへ飛び、3日、米ワシントンのダラス国際空港に到着した。ワリさんと家族はここで感動の再会を果たした。アイシャさんも3人の子どもたちもこのとき、生まれて初めて米国の地を踏んだという。

 9月8日、ワリさんが経営する料理店で記者会見が開かれ、ワリさんはスオジ議員と初めて会った……というのがテレビ番組や地元の新聞で報道されていた内容だ。

ワリさんが経営するマンハッタンの料理店で開かれた記者会見の様子。左からワリさん、娘のザーラちゃん、スオジ議員、息子のオマールくん(スオジ議員の<a href="https://suozzi.house.gov/media/press-releases/suozzi-welcomes-afghan-family-he-helped-evacuate-kabul" target="_blank">プレスリリース</a>より)
ワリさんが経営するマンハッタンの料理店で開かれた記者会見の様子。左からワリさん、娘のザーラちゃん、スオジ議員、息子のオマールくん(スオジ議員のプレスリリースより)

 地元の議員が市民の危機に手を差し伸べた、絵に描いたような美談──。にもかかわらず、ニュースを見ながら筆者の気持ちはどんどん複雑になった。

 そもそもアフガン戦争は、今からちょうど20年前の2001年9月11日、このニューヨークの地を含む米国内の数カ所で起きた同時多発テロが発端だった。当時のブッシュ政権は、テロの主犯とされたアルカイダ指導者ウサマ・ビンラディンの引き渡しをアルカイダの同盟組織で実質的なアフガン支配者でもあったタリバンに求めたが、応じなかったため戦争が始まった。

 ワリさんの2つの祖国は、9.11を境に敵国同士となったのだ。政治家やテロ組織の指導者が勝手に始めた戦争。しかもそのとき、ワリさんはがれきのほこりと悲鳴で埋め尽くされたニューヨークにいた。

 それから20年間、ワリさんはどんな思いで過ごしてきたのだろう。いてもたってもいられなくなり、番組に映っていた料理店の店名Ariana Afghan Kebobを手元にあったスマートフォンで検索した。すると、店は筆者の自宅から徒歩20分ほどの場所にあった。

 これは行くしかない。9日の正午過ぎ、ランチを兼ねてワリさんに会いに行くことにした(アフガン料理を食べたいという下心?もあった)。

 おなかをすかせた状態で小雨の中を20分ほど歩き、ワリさんのアフガン料理店に到着すると、客はまだ誰も入っていなかった。前日に報道されたばかりだったので混雑を予想していたが、ウナギの寝床のような細長い店内の奥にワリさんがいるだけだった。

ワリさんが営むAriana Afghan Kebob。マンハッタンの中でも、バラエティー豊かなレストランが集まるへルズキッチンと呼ばれる地域にある
ワリさんが営むAriana Afghan Kebob。マンハッタンの中でも、バラエティー豊かなレストランが集まるへルズキッチンと呼ばれる地域にある

 「ハロー」

 歩道側に広く開放されたドアをくぐり、大きな声でこう言うと、ワリさんが勢いよくこちらに向かって歩いてきた。

 「ようこそ! あなた1人?」

 「そう。ランチを食べに来ました」

 「オッケー、ここに座って」

 薦められたドアに近い席に、見晴らしの良い歩道側ではなく、あえて店内に向かって座った。目的はワリさんと話すことだったからだ。すぐにワリさんに告げた。

 「昨日のニュースを見て来ました。あなたにインタビューをさせてもらえますか? 日本の記者なんです」

 すると、ワリさんの表情が途端に曇った。

 「ここのところ取材ばかりで、もううんざりなんだ。家族を呼び寄せた話は報道されている通りだし、お世話になった彼(スオジ議員)の手前もあって、あまり前に出て話すのはよくないと思う。ごめんね」

 逆の立場になってみればそうだろうな、とすぐに想像できたが、引き下がりたくはない。

 「気持ちはとってもよく分かる! でも私が興味があるのは、スオジ議員というよりあなた自身のことです。話を聞かせてもらえませんか?」

 「……」。少しの沈黙の後、「とにかく水を持ってくるから」とワリさんは店の奥へと消えていった。 

続きを読む 2/5 それぞれの9.11、米国人にとっての「トラウマ」

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り3194文字 / 全文6387文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「池松由香のニューヨーク発直行便」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。