なかなか姿を現さない「細い血管」の悪夢

 「小さな医務室」での作業(おしゃべり)が終わると、また別の椅子でしばらく待つよう促され、ようやく採血用の椅子に通された。案内してくれた人がどうやら筆者の献血を担当してくれるようだ。

 名札には「ジョナサン、ドナースペシャリスト」と書かれていた。こちらも後で調べると、ドナースペシャリストとは採血を専門とする職業で、Phlebotomist(フレボトミスト)ともいうようだ。ジョナサンさんは年齢は50歳くらいだろうか。東南アジア系、いや南米系? それとも白人かな? と思わせるような顔立ちの優しそうな男性だった。

 「腕を見せて。う~ん、血管が細いな。右と左、どっちがいい?」

 過去に何度も指摘されたことがあるので、またか、と心の中で思いつつ、「どっちでもいいよ」と言うと、ふむふむといった表情で左右を見比べ、「左にしましょう」と左用の椅子を選んでくれた。

 そこに座り、自分だけ写るようにスマホをビデオモードにして設置した。献血中の動画を記録して取材ノートとするためだ。ジョナサンさんも「いいよ」と許してくれた。

採血用の椅子。決して最新設備には見えなかったが、清潔さは「(汚れた場所が多い)ニューヨークにしては良いほう」といった印象だった
採血用の椅子。決して最新設備には見えなかったが、清潔さは「(汚れた場所が多い)ニューヨークにしては良いほう」といった印象だった

 ジョナサンさんはまず左の二の腕を血圧測定用の器具で圧迫した。ゴムボールを筆者に握らせ、肘の内側をパンパンたたいて血管を浮き上がらせようとするも、うまくいかない。

 血管が姿を現すのを待つ間、ジョナサンさんは必要な道具を用意した。血液バッグに筆者のバーコードを貼っていく。思ったよりバッグが大きいので驚いた。

 「こんなに血を抜くんですか? どのくらいの量を抜くの?」

 「1パイント(473ml)です」

 1パイントといえば、米国でビールを頼むと大きなグラスで飲みきれないほどの量が出てくるが、あれと同じ量ということだ。そんなに抜いて大丈夫だろうか。

 「そんなに抜くの? 献血は確か体重が110パウンド(約50kg)以上じゃないといけないんでしたよね」

 「そう。それ以下の人からは採血できない規則なんだ。体重が軽い人からこれだけの量の血を抜くと、頭痛が起きたり気分が悪くなったりするからね」

 筆者の体重は日によって条件を下回ることもあるほど超ギリギリだった。本当に大丈夫なのか。急に不安になってきた。

手足の指先が徐々に冷たく……

 ジョナサンさんも筆者の様子を見て、なんとなく不安を感じたようだった。「昼食はちゃんと食べた?」と聞くので、「食べてませんが朝は食べました」と答えた。

 「献血前は数日前からちゃんと食事を取って、水をたくさん飲むのがいい。健康診断だと採血の前に食事はするなと言われるけど、献血の場合は逆なんですよ」

 しまった。完全に健康診断の心づもりでいた。「3人の命を救える」「ジュースがもらえる」と喜んでいる場合ではなかった。

 そうこうしている間も、左腕の血管はちっとも浮き上がってこなかった。「右も試してみる?」と筆者が提案すると、ジョナサンさんも「うん、いい?」と作戦変更することになった。幸い、椅子は頭側も脚側もどちらもリクライニングになっていたので方向転換は簡単だった。

 「右も細い!」。ジョナサンさんが苦笑いをしながらも、「でも大丈夫」と思い切って針を刺した。思ったより痛く、指先の神経までなぜかピリピリと痛かった。

 筆者は痛みに強いほうだと過去に複数の医師から指摘されてきた(きっと「こんなになるまで我慢するのは相当だ」という意味だと思われます)が、今回は嫌な予感がした。再び不安がよぎる。

 だが針が固定されると痛みも落ち着いてきたので、なんとかなるだろうという気もしてきた。ジョナサンさんがまた話し始める。

 「遅い! 血液が出てくるのも、ものすごくゆっくりだ。これも血管が細いからなんです」

 そ、そうなんだ……。血の気が引くのを感じる。正直、ジョナサンさんのおしゃべりにも付き合えなくなってきた。手足の指の先が徐々に冷えていくのを感じた。

 ジョナサンさんも右手に触って気づいたのだろう。「温かくするから待ってて」と、使い捨ての手術用手袋にぬるま湯を入れ、それを粘着性のある包帯でボール状に巻いて即席の「あったかボール」を作ってくれた。

 それを右手でニギニギするも、やっぱり針を刺した部分が痛み、手足もさらに冷えてきた。

 「指の先が冷たいです」とジョナサンさんに訴えると、「うん、分かってる。血液が出てくるのがあまりにも遅いんだ。もしもっと状態が悪くなったら途中でやめるから言って」と心配そうに筆者の目をのぞき込んだ。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り2628文字 / 全文7830文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「池松由香のニューヨーク発直行便」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。