「米IBMの研究所で開かれるメディアツアーに参加しませんか?」

 こんなオファーが日本にいる同僚を介して届いたのは2022年5月中旬のことだった。ツアー開催まであと10日というタイミング。別の企画に着手しなければならない時期でもあったが二つ返事で飛びついた。3年前にニューヨークに赴任してからIBMは、筆者の中での「訪問したい企業リスト」に入っていたからだ。

 あまり知られていないかもしれないが、IBMの本社はニューヨークにある。といってもマンハッタンから車で北へ50分ほどの、自然豊かなアーモンクという場所だ。創業は1911年で、その地も州内のエンディコットという所だった。

 日本の広報担当者によると同ツアーでは、いまや最先端技術を語る上で欠かせない「量子コンピューター」を開発するラボも見学できるという。スーパーコンピューターが何年かかっても解けない難題を数分で解いてしまうと期待されている「次世代コンピューター」。90年代からさまざまな企業や研究機関が研究を進めてきたが、中でもIBMは2016年、クラウドを通じて企業などが量子コンピューターを利用できるサービスを始めた「先駆者」の1社だ。

 この量子コンピューターの重要な開発拠点の一つが、同州ヨークタウンハイツにあるIBMトーマス・J・ワトソン・リサーチ・センター。「日本IBMの社員ですら行ったことのない人もいる場所」(広報担当者)というから、もはや断る理由などない。

 ということで今回は、5月23~25日に開催されたIBMのメディアツアー、中でも量子コンピューターのラボ見学ツアーに焦点を絞ってその模様をお届けする。

 ちなみに筆者は過去に量子コンピューターを開発するスタートアップを取材したことがあるものの、別段、量子コンピューターに詳しいわけではない。そんな素人ならではの困惑(?)も併せてお届けできればと思う。

 ニューヨーク州マンハッタンのグランドセントラル駅から北へ35分、電車にゆられてホワイトプレーンズ駅に行き、そこからさらに20分ほど北に車で移動すると、IBM研究所の総本山「トーマス・J・ワトソン・リサーチ・センター」にたどり着く。木々が生い茂る見晴らしのいい高台に建っているので、玄関前で大きく空気を吸い込むだけで気分爽快だ。

 「おおっ、これは写真でしか見たことのないアレではないですか!」

 玄関を入ってロビーの左手にあるドアをくぐり抜けると、すぐさま目的の物体が現れた。そのときに見た光景が下の写真。同社が顧客と研究に必要な資産を提供し合って共創する場「THINKLab(シンクラボ)」の最も目立つ場所に置かれていた。

ピカピカの部品は通称「シャンデリア」。同社が開発する量子コンピューターの中枢部のモックアップだ
ピカピカの部品は通称「シャンデリア」。同社が開発する量子コンピューターの中枢部のモックアップだ

 これは量子コンピューターの中枢部、通称「シャンデリア」のモックアップ。ただモックアップと言っても、後で聞いたところ、ほぼ本物と同じ部品を使っているためかなりの高額らしい。この数時間後、IBM社員による「濃厚な」ツアーが始まった。

物理学者のイメージ一掃、長髪のミューアさん

 メディアツアーには、タイやインドネシア、オーストラリアなどアジア太平洋地域からやってきた記者12人が参加していた。

 量子コンピューターのラボを見学するツアーは初日の昼食時、狭い部屋に入ることも考慮して二手に分かれて実施された。そのスタート地点となったのが、シャンデリアのモックアップの前だった。

 「通常は見えないのですが、(量子コンピューターの)中身はこのようになっています。なぜ見えないかと言うと……」

 こう説明を始めたのは、16年にIBMに入社したという物理学博士のミューア・カンフさんだ。筆者が勝手に抱いていた物理学者のイメージとは異なり、グレーがかった長い金髪が印象的な、気さくな男性だった。

 それにしても間近で見ると迫力がある。頑丈そうな支柱部品によって4枚の円盤部品がまさにシャンデリアのようにぶら下がっていて、円盤と円盤の間にはネジのように弧を描いた金属線が上下にいくつも行き交っている。

 美しいので美術品に見えなくもないが、「モックアップは一部、『内輪ウケ』のジョークが含まれているけれど、ほぼ正確だ」とミューアさんは笑う。内輪ウケがなんだか気になったが、熱っぽく語っていたので聞く機会を逸した。

 ミューアさんによると、この豪華絢爛(けんらん)な部品のほとんどが量子コンピューターの心臓部ではなく、あくまで心臓部がきちんと働けるようにサポートをしている部品なのだと言う。難しい問題を解く作業をしている心臓部は、シャンデリアの下の方にひっそりとたたずむチップだ。

実際に処理をしているのはこの小さなチップ
実際に処理をしているのはこの小さなチップ

 量子コンピューターのことをほとんど知らない筆者は、シャンデリア全体に比べてあまりにも小さなチップにがくぜんとした。

 ここで今さらながら「量子コンピューターとは何?」に触れないわけにはいかない。素人ながら筆者なりの解釈をご紹介する。

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