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 2020年5月25日、米国は「特別な」メモリアルデーを迎えている。戦没兵士を追悼するこの日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死者が10万人を超えようとしている。米ジョンズ・ホプキンス大学の統計によると、米国東部時間の25日午前0時現在、死者が9万7679人に上った。

 米政府は急上昇する失業率をなんとか食い止めようと経済再開を急いでいる。もちろん経済再開も重要だが、忘れてはならないのは、約10万人もの命がすでに失われたという事実だ。一人ひとりに人生があり、それぞれが新型コロナという敵と最期まで果敢に闘った。

 4月27日にCOVID-19で亡くなったジェームズ・マホニー医師(62歳)もそんな一人だった。ニューヨーク州立大学ダウンステート・メディカル・センターとその提携病院の救命救急室を掛け持ちし、自身が倒れるギリギリまでCOVID-19の患者さんたちの治療に心血を注いだ。

 同市ブルックリン地区の両病院がある地域は、アフリカ系アメリカ人が中心のコミュニティーだ。マホニー医師が同大の医学生として同センターにやってきた1980年代、マホニー医師のようなアフリカ系アメリカ人の医師はごくわずかしかいなかった。現在でも、米国で勤務する現役医師のうち、黒人・アフリカ系アメリカ人は5%しかいない(下の円グラフ)。

2018年7月1日時点で米現役医師を人種によって分類したデータ。米医科大学協会がまとめた統計より

 「伝説になった黒人医師」。マホニー医師が地元でこう呼ばれるようになったのは、彼の生きざまそのものが彼の後を継ぐ黒人医師たちのモデルだからだ。

 すでに本コラムでも数回にわたり取り上げてきたが、COVID-19で病院に運ばれてきた患者さんたちの最期に家族が立ち会うことはできない。だがマホニー医師の場合、「第2の家族」が立ち会うことができた。マホニー医師とともに新型コロナと闘い、彼亡き今もなお闘い続けている彼の同僚たちだ。

 マホニー医師の上司で同センター救命救急室チーフのロバート・フォロンジー同大医学部助教授に、マホニー医師の生きざまと最期について語ってもらった。フォロンジー助教授の言葉は、生きることや働くことの意味だけでなく、組織や上司・部下の関係で何が重要かも教えてくれる。

前列右がマホニー医師。2列目左が上司のフォロンジー助教授

マホニー医師との出会いについて教えてください。

ロバート・フォロンジー助教授(以下、フォロンジー氏):私がニューヨーク州立大学ダウンステート・メディカル・センターにやってきたのは、2015年9月のことでした。前任者ががんで亡くなり、その後、マホニー医師ともう1人の医師が兼務で救命救急室を率いてくれていました。

 私と彼は専門が「呼吸器」で、00年にも少しだけ会ったことがありました。たぶん私だけではなく誰でもそうだと思うのですが、彼の人柄に一瞬で魅了されました。そんな特別なエネルギーを持った人でした。

研修医を教えることもあったのですか。

フォロンジー氏:病院では、研修医はもちろんあらゆる人の「師」として慕われていました。ここ数年間、特に力を入れていたのが後継医師たちの教育でした。

 でも決して「優しい先生」ではありませんでしたね。医師たちにとても多くのスキルや熱意を求めていましたから。それだけ彼らへの期待も高かったのでしょう。後輩が間違ったことをすればものすごい勢いで叱る。でも必要なときにはそっと背中に手を添えて支えてくれる。そんな先輩医師でした。

 マホニー医師は若手医師の士気を高めるのもとても上手でした。多くの先輩医師は、後輩がもたもたしていたら待ち切れずに自分で手を下してしまいますが、彼は違いました。本当に必要になるまで手は出さず、1時間でも辛抱強く待ちます。

 夜中の2時や3時に患者さんの容体が急激に悪化したようなとき、若手医師が電話をするのも決まってマホニー医師でした。そんなことをすると嫌がる医師も中にはいますが、マホニー医師は絶対に来てくれる。そう誰もが知っていたからです。彼自身、昼夜もなく働きづめでしたが、そんなことはかまわず患者さんの命最優先でいつでも駆けつけていました。

 多くの若手医師が慕う、憧れの先輩でした。

貧困でも健康保険がなくても最善の医療を

病院のある地域はアフリカ系アメリカ人が多いコミュニティーですが、コミュニティーにとってマホニー医師はどんな存在だったのですか。

フォロンジー氏:彼がセンターで研修医として働き始めたのは1982年で、それからずっとここに勤務してきました。いまだに多くはありませんが、当時は黒人の医師はほとんどいなかったと聞いています。

 このセンターで育つ黒人医師は皆、とても優秀です。それは、マホニー医師が自ら非常に高い水準の医療を提供し続け、模範となってきたからだと思います。彼は誰に対しても気を配る人ですが、特に若い黒人医師には気を遣っていたようでした。少数派だと気後れしてしまうものなので、病院に早くなじみ、誰からも尊敬される医師になれるよう手助けをしていたのです。

医師だけでなく、清掃員など病院で働く人たち皆に好かれていたと聞きました。なぜですか。

フォロンジー氏:病院はともすると軍隊に似た組織です。ヒエラルキーがあって、上の階級の人には気安く話しかけられない雰囲気があります。でも、マホニー医師はそんな病院の常識を最も嫌っていました。

 清掃員にも販売店の店員にも、相手の職位に関係なく人としての威厳を尊重し、敬意を払って話しかけていたのです。だから皆、彼のことが大好きでした。

 そんな人柄ですから当然、患者さんたちからも好かれていました。米国では健康保険に入っていない患者さんに対して、治療を施すのを嫌う医師がいます。医療費を支払ってもらえない可能性があるからです。

 センターがあるのは貧困家庭の多い地域ですが、マホニー医師は相手がどんなに貧困でも、健康保険に入っていなくても、かまわず最善の医療を施していました。

 だからこそ彼の死は、本当に多くの人にとって大きな大きな衝撃だったのです。