思い起こせば1年前、筆者は自宅からほぼ1歩も出ずにおびえながら暮らしていた。ニューヨークで新型コロナウイルスの感染爆発が起こり、1日の死者数が1000人を超えたのがちょうど2020年4月14日だった。

 「とにかく外出は控えねば……」。当時の「一番の遠出」と言えば、マンションの廊下に出て10数歩で到着するゴミ捨て場に行くことくらい。どうしても取材で外に出たい時は出ていたが、なるべく人との距離を取り、物にも触らないように気をつけ続けるので帰宅すると疲れ切っていた。

 あれから1年。1日の新規感染者数はニューヨークだけでいまだに5000人を超えるが、死者数は50人程度にまで減っている。

 そんなニューヨークの住人に3月30日、うれしい出来事があった。州で30歳以上の住民全員にワクチン接種が解禁されたのだ。接種が始まったのは20年12月中旬だった。対象者が当初は医療従事者や持病を抱えている人、介護施設の入居者などに限定されていたが、その後、徐々に拡大され、ついに30歳以上全員に接種が許されたのだ。

 対象になった人たちが一気に州や市のサイトにアクセスして接種の予約を取ろうとしたので、サイトは一時パンク状態に陥った。そのときの奮闘ぶりは2021年4月5日付の本コラム記事「スマホで接種証明 米国初の『ワクチンパスポート』は希望の光か」で取り上げた。

 とにもかくにも、筆者は苦労の末、自宅近くのジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンターで州が無料で提供するワクチンの予約にありつけたのだ。予約時間は4月11日の日曜日午前11時30分。「いざ、出陣!」というところから今回の体験シリーズ第5弾を始めたい。

 ちなみに体験シリーズとは20年5月から始まった企画で、感染爆発が収まり少しずつ外に出られるようになった筆者が興味の赴くままに「ニューヨークで体験してみた」ことを読者の皆さんにお届けするものだ。

接種後、アナフィラキシーの症状が出ないかどうかを見守るための待機所
接種後、アナフィラキシーの症状が出ないかどうかを見守るための待機所

 4月11日、決戦の日曜日。その日は小雨が降ったりやんだりしていたが、気分は晴れやかだった。

 怖くなかった、と言えばウソになる。ワクチン接種の対象者が拡大されるにつれ、周囲にすでに接種した人が増えていき、そんな諸先輩方から「サイドエフェクト(副作用)」に関するホラーストーリーを聞かされていたからだ。

 「気分が悪くなるので接種から数日は仕事ができなくなる」「頭痛がひどい」「起き上がれずにほぼ寝たままになる」「腕が赤く腫れ上がる」――。米ファイザーや米モデルナが提供するワクチンは2回の接種が必要で、特に2回目がひどいと聞いていた。

 だが筆者は、副作用については少しだけ高をくくれる理由があった。いずれの体験談もファイザーかモデルナのワクチンを受けた人たちのもので、筆者は接種が1回で済む米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)の予約を、激しい競争をくぐり抜けて勝ち取っていたからだ。

 J&Jの話も多少は耳に入っていたが、「頭が痛くなるがタイレノール(一般的な解熱剤)を飲んでおけば大丈夫」くらいの話だった。

 もう1つ、恐れを感じていたのはワクチンそのものの長期的な人体への影響だった。ただこればかりは現時点では全貌が分かりようもないので心配しても仕方がない。

 友人知人の中には、これを懸念して接種しないという人もいたが、筆者は少しでも感染リスクを下げることで以前のような暮らしに戻りたいという気持ちの方が強かった。集団免疫に協力したいという気持ちもあった。そして、短期間でもいいから日本に帰国し、両親の顔を見たいとも願っていた。高齢者に会うならワクチンは打っておいた方がいいと考えたのだ。

 だからJ&Jのワクチンを打てるとなったときは、子どものように両手を挙げて「やったー!」と喜んだ。1回で終わるので、それだけ早く体の中に抗体をつくることができるからだ。

 高鳴る胸をおさえながら、自宅から接種会場に向かって傘を差しながら歩いた。普段はほぼ人が通っていない道だが、接種後らしき数多くの人とすれ違った。

 会場に到着した。

マンハッタンにあるジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンターは、ニューヨーク州が提供する特設ワクチン接種会場の1つ
マンハッタンにあるジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンターは、ニューヨーク州が提供する特設ワクチン接種会場の1つ

屈強な軍人が細やかにサポート

 ジャビッツ・センターは国際自動車ショーの会場にもなる場所で、入るととにかく天井が高くてだだっ広い。誘導ロープに沿って進むと、米軍の軍人たちが受付作業をしていた。大柄の軍人が細かな事務作業をしている姿が少しほほ笑ましくて心が和んだ。

 必要な書類は主に3つだ。なお、筆者は州が設置している特設会場を予約したためこれらの書類が必要だったが、市や民間のドラッグストアで接種する場合は異なると考えられる。

1. サイトで予約するとメールで送られてくる「Registration Ticket(登録チケット)」

2. 「New York State COVID-19 Vaccine Form」に記入して提出するともらえる「Submission ID(提出ID)」。ちなみに質問内容は、人種や職業など非常に簡単なもの

3. ニューヨーク在住を証明できる運転免許証などの証明書類

 さらに筆者は頭痛に襲われた場合に備えて、タイレノールと水も持参した。ちなみにニューヨーク州では、在住者なら誰でも無料で接種でき、保険なども必要ない。

 受付で上記3点を見せると、書類は返却され、ワクチンを接種したことを知らせるステッカーを渡されて胸に貼り付けるよう言われた。またスマホで写真を撮っていたのを見ていたのか、「次の部屋に入ったところからは撮影はしないでください」と念を押された。

 再び誘導ロープに沿って進み、「撮影はしないで」と言われた部屋に入った。そこには誘導ロープが迷路のように張り巡らされていたが、ラインが2つあり、筆者が指示された方には人が全くいなかった。混雑していた方がファイザー、すいていた方がJ&Jのラインだ。

 なお、ほとんどの会場では1種類のワクチンだけを扱っているが、ジャビッツだけは特別、州の施設で最も一般的なファイザーとJ&Jの2種類が提供されていた。

 軍人の係員は、胸にステッカーがあるかどうかでファイザーかJ&Jかを見分けているようだった。ファイザーは2回の接種を終えないとステッカーはもらえないので、2回目の接種が終わった人にだけ事後に配っているのだろうと想像した。その点、J&Jは1回なので、全員に事前にステッカーを配っても問題ない。

 ファイザーの行列を横目にずんずんとラインを進むと、着席して対面で会話をするタイプの受付が50以上も並んだ、少し開けた場所に出た。ここでは軍人ではなく、一般人が受付を担当していた。

「誕生日」の話題で盛り上がりつつ会場へ

 指定された番号の席に座ると、優しそうな女性の担当者が「ハーイ、ハウアーユー?」とあいさつをしてくれた。「アイムファイン」と答え、必要書類3点をプラスチックのパーティションの下から差し入れると、「パーフェクト!」と言って処理を進めてくれた。

 「誕生日はいつ?」と聞かれたので答えると、「ワオ、隣の彼女と同じね!」と隣の受付に座っていた黒人女性の担当者を指さした。「え? そうなの?」と筆者がその黒人女性に話しかけると「そうなのよ。割と多いのよね」と彼女。筆者もその女性も誕生日がバレンタインデーなのだ。

 次に、インターネットで予約したときに答えた質問とほぼ同じことを聞かれた。過去14日間にCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)らしき症状はなかったか、同期間にインフルエンザなどのワクチンを接種していないか、ワクチンでアレルギー反応が出たことがあるか、など。すべてに答えると書類が返却され、次の工程へと促される。

 受付のある場所を通り過ぎて角を曲がると、また別の開けた場所に出た。接種会場だ。広い場所にゆとりをもって60以上のデスクが設置されており、書類を処理する担当者と注射を打つ担当者の2人ずつが各デスクで待機していた。このとき、使われていたのは60以上のデスクのうち30のみだった。

 さすがにここでは十数人が列を作って順番を待っていたが、1分も待たずに空いたデスクに案内された。

 いよいよ時は来た。

次ページ 「マラソンを走った感覚だ」