ミャンマーで国軍のクーデターが発生して4カ月が経過した。多くの国民が国軍の暴挙に反発したが、都市部における抵抗運動は徹底的に弾圧され、言論統制の影響もあって国際的な報道も日を追って少なくなった。しかし今もミャンマーでは国軍への怨嗟(えんさ)の声が広がっており、多くの人が苦しい生活を強いられている。戦火は地方に拡大。10万人以上が国内避難民となることを余儀なくされ、ジャングルをさまよっている。
経済も混乱が続いている。仮に情勢が落ち着いたとしても、これまで成長の原動力となっていた国外からの投資が停滞することは避けられず、見通しが好転することは当面ないだろう。
国外からの投資で大きな存在感を放っていたのは日本企業だった。特に2010年代にミャンマーが民政移管を果たすと、企業は日本政府の後押しもあって次々とこの国に足を踏み入れていった。彼らは今、進むことも戻ることも容易ではないジレンマに直面し、身動きが取れずにいる。
ミャンマーで今何が起きているのか。この国に進出した日本企業が今、直面している苦境とはどのようなものか。「最後のフロンティア」で起きた異変をシリーズでお伝えする。
■シリーズ「混迷ミャンマー」のラインアップ(予定)
第1回:やまない軍政の弾圧と恐怖、追われる人々
第2回:キリンやKDDIに批判集中、立ちすくむ日本企業
第3回:スー・チー氏台頭に安穏、官民一体進出の泥沼
第4回:民主派勢力幹部に聞く「企業活動は国軍支援に」
今年4月のある晩、ミャンマーの首都ネピドーに住むミン・ナイン・ウー氏(仮名)はテレビのニュースにくぎ付けになった。自分の名前と顔写真が映し出され、軍事政権が指名手配したと報じていたからだ。
2月1日のクーデターで全権を掌握したミャンマー国軍は、これまでに少なくとも800人を超える人々を殺害し、4000人以上の人々を拘束した。ミン・ナイン・ウー氏はSNS(交流サイト)で国軍の暴挙を世界に発信し、CDM(市民不服従運動)を積極的に支援した。これが当局の反感を買ったようだ。

「自分は悪いことなど一つもしていない。法廷の場で堂々と戦おう」。指名手配を受けたことを知ったミン・ナイン・ウー氏は当初、逮捕されても構わないと考えた。だが捕まれば命の危険があった。「逮捕者は『尋問センター』と呼ばれる場所に連行され、ひどい仕打ちを受ける」。民主派勢力が結成した「挙国一致政府(NUG)」のアウン・ミョウ・ミン人権担当大臣もこう指摘している。
周囲の説得を受けたミン・ナイン・ウー氏はネピドーからの脱出を決意し、有力少数民族の影響下にある地域に向かった。
平時なら車で一日あればたどり着く場所だが、ミン・ナイン・ウー氏が腰を落ち着けることができたのはネピドーを出て3週間が経過した頃だった。追跡を逃れるため、幾度も車を乗り換えなければならなかった。少数民族武装勢力と国軍との戦闘が間近で勃発したこともあった。「銃弾の音が絶え間なく響き、至近距離で手りゅう弾や地雷が爆発する。生きた心地がしなかった」と同氏は振り返る。
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