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松尾 豊(まつお・ゆたか)氏
2002年東京大学大学院博士課程修了。博士(工学)。米スタンフォード大学客員研究員などを経て19年4月から東京大学大学院教授。AI研究の第一人者として知られる。(写真:山下裕之、以下同)

松尾先生がAI監修を務めた映画『AI崩壊』は、「AIは人間を幸せにできるのか」という大きなテーマを描いています。人工知能(AI)をうまく使えば、人間を幸せにできるが、使い方を誤ると、とんでもないパニックを起こすことになると、伝えています。松尾先生は、AIは人間を幸せにできると思いますか?

松尾豊・東京大学大学院教授(以下、松尾氏):ええ、そう思いますね。

では、AIをどう活用すれば、人間を幸せにできるのでしょうか?

松尾氏:幸せとは何かは、難しい問いだと思います。AIの研究者や技術者が考えるというよりも、みんなで考えるべきことだと思います。

 単純に長生きすることがいいことなのか、人によって見方は違います。健康寿命を延ばすことが幸せなのだという考え方もあります。

 例えば、AIによって商品のレコメンドをもらったり、診療なども自動化されたりすることが、幸せにつながるのか。人がどのくらい介在するとお客さんはうれしいのか。あるいは働いている人は満足しているのか。これらは、とても大事な話です。だから社会全体で考えていく必要があります。いったん、方向性が決まれば、AIは目的を達成する強力な手段なので、うまく実現に近づけていくことはできると思います。

今まで意識していなかった権利

今や、「自分はどんな仕事に向いているのか」「どんな人と結婚したらいいのか」もAIがレコメンドしてくれます。AIに頼ったらいいのか、自分で考えて決めればいいのか、AIとの付き合い方をどうすればいいかという問題も、みんなで考えていかなければいけないのでしょうか。

松尾氏:そうだと思います。技術が出てくると、今まで意識してなかった権利の話も出てきます。例えば、「忘れられる権利」は有名ですが、インターネットが出てきたことで初めて明示的に意識されるようになりました。AIが突きつけている問いの1つは、人は自分で意思決定する権利があるのかということだと思います。

 例えば、サイトの最適化の技術によって、自分が意思決定しているつもりが、広告に誘導されていることもあり得ます。そういうことに対して拒否する権利があるのか。僕は、人生において重要なことに関しては、拒否する権利があると考えています。つまり、自分の意思がどのくらいゆがめられているのかということを意識した上で、意思決定する権利はあるはずです。

 ほかにもいろいろな論点があります。個人情報って簡単に言いますが、多くの場合、人間には本音と建前があって上手に使い分けて生きています。極端な例ですが、「命に値段があるのか?」なんて、建前では絶対に議論されません。ただ結果的に、安い住居は治安が悪いところにしかないとか、途上国のほうが収入のレベルが低いためにいろいろな予防接種が受けられずに亡くなっている方が多い状況を見ると、「命に値段がある」という事実は存在しているように思います。しかし、そこは認めたくないですし、そういうことを無くするようにみんな努力していることをもって現状を受け入れているわけです。

 これまで、データにさまざまな偏見が含まれているときにAIの判断が偏見的になり、問題になった例がいくつかあります。例えば、米アマゾン・ドット・コムがAIを用いた採用ツールで、女性に不利な判断をしてしまった事例などがあります。そのこと自体が問題というより、やはり人間の人間性についてよく考えないといけない。AIが単純にデータを見てそれを学習したとしても、それがいいことなのか悪いことなのかを考えることが必要だということです。そして、現状に仮に何らかの偏見があったとして、それを排除していこうという努力をすること、そういった意思を社会でもつことが必要です。

 これは、罪を犯した人などの場合も同じですよね。やった行為そのものは社会的に悪だとしても、反省していると、一定の情状酌量がなされる場合があります。子どもをしつけるときも同じですよね。反省してるか、問うわけです。反省していると、「許そうかな」と思うのです。

 つまり、現状はどうあれ、そこからいい方向に向かいたいという気持ちがあることが、すごく重要になるわけです。このような指向性とも言うべき人間の「どちらに向かいたいか」ということは、一見建前的に見えるかもしれませんが、人間社会を方向づけて導いていく上で大変重要なものだと思います。一方で、現実主義、プラグマティクスとしての本音の部分もある。このバランスが社会を構成しています。