本音の部分を認めてあげる必要がある

 個人のプライバシーといったときに、その理由は多岐にわたります。例えば、人に知られたくない趣味がある、あるいは誰かとデートしているところを親に知られたくない、友人に自分の悩みを知られたくない、何かそういうことが本音なんだと思うのです。

 ある意味で僕は、本音の部分をちゃんと認めてあげないといけないと思います。やはり人は息抜きしないといけないし、間違いもするし、かっこつけるし、わがままです。ルールも破ります。例えば、小さな道で夜中に車も全く通ってないときに、赤信号でも渡ってしまう。悪いことだと分かっているけど、「誰も見てないしいいか」と思って渡ってしまう。

 この「悪いことだと分かっているけど」という建前の部分、そして、「渡ってしまう」という本音の部分、両方があるわけです。そして、「渡ってしまう」ことだってあるよね、とまず認めないと、例えば、信号無視を検出するAIを作ったときに息苦しくて仕方ないわけですよね。

 今までは、技術がそこまで進んでいませんでしたから、自分がやろうとすることを知られる手段がなかったわけで、問題にはならなかったのです。しかし、これから、AI、IoT(モノのインターネット)など、さまざまな技術を活用していく上では、人には、自分がやりたいことをやる権利があるし、見せたくないものを見せない権利があるし、都合の悪いことを知られない権利もあると考えていくべきだと思います。人の権利についての議論は、最新のテクノロジーを踏まえた上でもっと議論したほうが良いと思いますし、もっと明示的に自由の幅を広く取るべきだと思います。

先ほど、命の値段という話をされましたが、映画『AI崩壊』では、突如AIが暴走して人を選別するようになります。生きてる価値がある人と死ぬべき人と選別し始めます。

松尾氏:人を選別するということであれば、既に与信スコアが存在します。我々の社会の中でも結局、「お金を持っているかどうか」とか、「社会的なステータスがあるかどうか」とか、いろいろなことで人が区別されてしまうことはよくあります。そうしたスコアが存在するというのは事実として、「人が単一のスコアで区別されるのは良くないよね」という建前の部分はあると思います。

 人はそれぞれに長所短所があり、根底にはそれぞれの人を尊重する社会にしていきたいわけですよね。だから、人を尊重するという表明なしにスコアを使うのは気持ちが悪い気がしますよね。

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