日本一の地価を誇り、高級ブランド店や百貨店が立ち並ぶ東京・銀座。そんな一等地でソニーグループが展開していた「公園」が3年間の役目を終えた。

9月30日に第1期を終えた「銀座ソニーパーク」
9月30日に第1期を終えた「銀座ソニーパーク」

 公園の名は「銀座ソニーパーク」。銀座・数寄屋橋の交差点に面しており、地下には飲食や物販などのテナントやイベントスペースが設けられていた。2018年に開園したが、21年9月30日に第1期としての役目が終了。10月以降は第2期の展開として、地上部分のビル工事が始まる。

 ソニーパークの前身は、1966年に完成したソニービルだ。ソニー創業者の一人、盛田昭夫氏の肝いりで建設された。当時のソニーは、ウォークマンが誕生する10年以上前。世界的なエレクトロニクスメーカーとして飛躍する前だけに、盛田氏自身、「一等地にビルを持つことを手放しで喜んでいいか」と悩みに悩んだ末の結論だった。そんな経緯もあり、数多くの商品やサービスを世に送り出した盛田氏にとっても、思い出深い場所だったという。

 そんなソニービルの建て替えの議論が始まったのは2013年。現シニアアドバイザーの平井一夫氏が社長を務め、構造改革の真っただ中だった時期だ。「当初はソニービルをどう建て替えるかを議論していた」。ソニーパークの企画や運営を担う、子会社のソニー企業(東京・中央)で社長を務める永野大輔氏は振り返る。当時は東京五輪・パラリンピックに向けて東京都心のビル開発が活発化していただけに当たり前の判断だったのだろう。

 だが単純に話が進まないのがソニーだ。建て替えプロジェクトの議論で上がったのは「面白くない」「ソニーらしくない」という意見だった。最終的に「みんなが建て替えるなら、あえて建て替えない」(永野氏)という結論になり、いったんは地下を生かす「減築」を選択。18年に「公園」として生まれ変わることになったという。

 ソニーパークとしての3年間は、地下を含めて数多くのイベントを開催。ウォークマンの展示や世界的なロックバンド、クイーンに関するプログラムなど音楽・アート関連を中心に合計15のイベントが開催された。3年間の来場者数は約850万人。新型コロナウイルス禍以前は、「1日約1万人が来ていた」(永野氏)という。「待ち合わせなど、公園として利用してくれた」(永野氏)という面もあるが、イベントを通じてソニーのブランドイメージ向上に一役買った側面はありそうだ。

銀座ソニーパークの第2期は2024年から
銀座ソニーパークの第2期は2024年から

盛田昭夫氏がこだわった「銀座の庭」

 世間の動きとは逆で「都会の中の公園」を造るという選択をしたソニーだが、「少しだけ深い理由もある」と永野氏は語る。ソニービル建設を決断した盛田氏の「思い」だ。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り1014文字 / 全文2105文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「佐伯真也の「日の丸電機サバイバル」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。