日立製作所はこの10年で最も変貌を遂げた日本企業の一社だろう。総合電機から、IT(情報技術)ソリューションを軸にした社会インフラ企業になりつつある。歴代3トップが構造改革のバトンをつなぎ、成功させることができた理由を探る。

■連載予定 ※内容は変更する場合があります
(1)日立の大変革を先導 米グローバルロジックの実力
(2)「日立時間」から脱却 買収企業に学ぶアジャイル文化
(3)デジタル人材10万人計画 日立、独自資格や研修充実
(4)沈む巨艦に大なた 日立歴代3トップが構造改革できた理由(今回)
(5)日立の東原会長が描いた改革「サイロを壊し、黒船を呼び込んだ」
(6)日立は世界で勝てるか DX、敵はシュナイダーやアクセンチュア
(7)日立の小島社長「GAFAのように俊敏でないと負ける」
(8)日立がグローバルリーダーになるには「多様性が不可欠」伊出身常務

歴代のトップが改革のバトンをつないできた。左から川村隆氏、東原敏昭氏(現会長)、中西宏明氏(2014年1月、写真=共同通信)
歴代のトップが改革のバトンをつないできた。左から川村隆氏、東原敏昭氏(現会長)、中西宏明氏(2014年1月、写真=共同通信)

 日立の構造改革は川村隆氏から始まり中西宏明氏、東原敏昭氏(現会長)へと3代続いた。巨大組織で10年以上も改革の流れが途絶えなかった理由の一つは、構造改革の方向性がぶれなかったことにある。

 日立は2009年3月期、製造業で過去最大の最終赤字となる7873億円となった。コングロマリットの弊害で自動車機器、薄型テレビ、半導体子会社など様々な事業の不振が重なった。日立マクセル会長だった川村隆氏が日立本体の会長兼社長として呼び戻され、再建を託された。中核の社会イノベーション事業と関連性が薄い事業を減らすという、選択と集中の「基準」を明確にした。

選択と集中の基準、明確に

 「二度とこうした危機を起こさない」。川村氏は公募増資で自己資本不足を解消した。それと並行して再建計画「100日プラン」を策定し、業績底上げのため事業の選択と集中に動いた。川村氏が繰り返し語っていたのが「近づける事業、遠ざける事業を明確にする」との表現だった。残す事業と撤退もしくは売却するものを線引きし、方向性を一度決めたら時間をかけても完遂した。

 これは川村氏の後を継いで10年に社長に、14年に会長兼CEO(最高経営責任者)に就いた中西宏明氏にも受け継がれた。判断基準は明快だった。「今のままでグローバルな競争市場で戦って勝てるのか」

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