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村田製作所の社長に就任する中島規巨氏(写真:山本尚侍)

 「ついに来たかという感じ。驚きはない」。創業家以外の社長就任に踏み切る村田製作所だが、社内外の関係者の多くはこう口をそろえる。

 村田製作所は3月13日、中島規巨・代表取締役専務執行役員が社長に昇格する人事を発表した。創業家出身の村田恒夫会長兼社長は代表権のある会長に就く。いずれも6月下旬開催の株主総会後の取締役会で正式決定する。

 国内電子部品大手の中でトップレベルの売上高営業利益率(2019年3月期は16.9%)を誇る村田製作所。これまでは3代にわたって村田家から社長を輩出してきた。中島氏の社長就任で、創業家の出身者以外が社長になるのは初となる。

 だが、冒頭のコメント通り、社内外の受け止めはいたって冷静だ。村田製作所には創業家出身者も在籍するが、40代前半と若い。現社長の村田恒夫氏は68歳で、「70歳を迎えるまでに創業家以外にバトンを渡すのは既定路線」(社内関係者)とみられていた。

高周波事業拡大の立役者

 しかも、中島氏は社長候補の「本命中の本命」とされてきた。スマートフォンなどの無線通信の受信性能を高める「高周波部品・モジュール」を、電気を一時的に蓄えたり電流を整えたりする「積層セラミックコンデンサー」と並ぶ主力事業に拡大した立役者の1人だからだ。

 村田製作所が高周波部品事業を拡大したのは1990年代後半。デジタル方式の「2G(第2世代移動通信システム)」向けに、送信と受信の周波数帯を切り替える「スイッチプレクサ」と呼ばれる高周波部品を開発し、大ヒットにつなげた。

 このスイッチプレクサの生みの親の1人が中島氏だ。開発のきっかけは、90年代当時の携帯電話業界の盟主だった、欧州の携帯電話大手からの開発要請。「議論の席で先方が提示してきた方式の回路図は複雑で実現は難しそうだった。なので、その場で別の方式の回路図を提案したところトントン拍子で商談が進んだ」と中島氏は振り返る。余談になるが、本社でこの話を創業者の村田昭氏に伝えたところ、その夜、老舗の京料理店の「たん熊」に連れていってもらったという。

 さらに、中島氏のこの体験から生まれたのが「商品技術」と呼ぶ村田製作所独自の役割だ。新商品の開発時に顧客との最前線で対峙し、細かなニーズを設計や開発部門に反映させながら、商品として仕上げる役割を果たす。技術的な項目だけではなく、量産日程や販売価格などの交渉責任も一手に引き受け、その場で即断即決する。原則として、どんな交渉でも「一度、社に持ち帰ります」という先送りの対応はしない。

 「社内の最先端技術の理解力に加えて、語学などのコミュニケーション能力にたけたスーパーマンと呼べる存在」。中島氏は商品技術の担当者のイメージをこう語るが、これこそ、自らの成功体験に基づいている。

専務になっても平場の席に座る

 一方で、中島氏は現場とのコミュニケーションも欠かさない。専務となった今でも個室は使用せず、平場に自らの机を置き、部下の相談には耳を傾けている。

 こうした姿勢は、現社長の村田恒夫氏と重なる。村田社長は京都の本社では、1人で従業員と同じ社員食堂を訪れて社員と共に会話を交わすほか、急用でもない限り役員専用エレベーターも使わない。開発現場を歩き回っては、現場の開発状況を聞き、自らが海外出張などで聞いた情報を耳打ちしている。

 「組織面では権限委譲がかなり進んでいるが、現場レベルでより素早い判断ができるように、自律分散的と呼べるような体制づくりに取り組んでいきたい」

 新社長就任に当たり、中島氏はこうコメントを発表した。村田製作所にとって「5G」という成長機会が広がる一方で、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う市況悪化の懸念もささやかれている局面。技術と現場主義という同社の強さを体現してきた中島氏がどのような一手を打つのか注目だ。