塩野義製薬は2020年12月16日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する予防ワクチンの臨床試験を開始したと発表した。米ファイザーとドイツのビオンテックのワクチンの接種が米英で始まったことに比べると出遅れた感も否めないが、日本企業としてはバイオベンチャーのアンジェスに次ぐ2番手で臨床試験にまでこぎ着けた。他社がほとんど手掛けない「感染症領域」に注力する製薬企業として、ワクチンでも存在感を発揮できるだろうか。

日本の大手製薬では初めて新型コロナのワクチンで臨床試験を始めた

 「UMNファーマを買収したのは、感染症用のワクチンをやりたかったからだ」と手代木功社長は日経ビジネスの今年8月のインタビューでこう話した。

 インフルエンザやヒト免疫不全ウイルス(HIV)の治療薬、多剤耐性細菌に対する抗菌薬、インフルエンザなどの診断薬を手掛け、研究開発では感染症領域に焦点を当てる塩野義だが、感染症予防用のワクチンにはこれまで縁がなかった。塩野義が強みとしてきた低分子化合物の技術では、ワクチンを作れないからだ。

 そもそも日本の大手製薬企業で、2000年代以前からワクチンの研究開発に取り組んできたのは武田薬品工業ぐらいだった。歴史的に見て、日本ではワクチンメーカーと製薬企業はほぼ分業に近い体制を取り、中小のワクチンメーカーが製造したワクチンを、現在のアステラス製薬や田辺三菱製薬、第一三共などの大手製薬が販売するというやり方をしてきた。この結果、海外が導入済みの新しいワクチンが日本にほとんど入ってこなくなったため、07年に厚生労働省はワクチン産業ビジョンを策定し、業界に構造転換を求めた。

 これを受けて10年以降、大手製薬企業がワクチンメーカーに資本参加するなどして業界再編が進展。以前からワクチン事業を手掛けていた武田薬品と、診断薬などを手掛けるデンカに加え、主要ワクチンメーカーに資本参加した第一三共、田辺三菱製薬、明治ホールディングスが子会社などを通じてワクチン事業を手掛ける現在の体制ができあがった。塩野義はこのときの業界再編にも乗り出さなかった。

 その塩野義が、当時東証マザーズに上場していたバイオベンチャーのUMNファーマとの資本業務提携を行ったのは17年10月。16億円を出資してUMNとの共同研究開発を開始するという内容で、感染症領域の予防ワクチンの開発を視野に入れ、基盤技術などを獲得するのが狙いだった。

UMNの行き詰まり

 塩野義がUMNと提携するまでには長いいきさつがある。UMNは06年に、米プロテイン・サイエンスから遺伝子組み換え技術を用いて昆虫細胞内で抗原たんぱく質を作る「BEVSシステム」という技術と、この技術を用いてインフルエンザワクチンを開発、製造、販売する権利を得て、日本での研究開発に着手した。

 インフルエンザワクチンの伝統的な製造法は、卵を用いるものだ。受精してから10日程度が経過した「発育鶏卵」にウイルスを接種し、培養して増やした後、薬剤などで感染性がない状態にする不活化を経て製造する。しかし、鶏卵でよく増えるようにウイルスを改良する必要があり、2カ月程度の時間がかかる。しかもワクチン製造用の鶏卵を調達するにも数カ月単位の時間がかかる。高病原性の鳥インフルエンザや新型インフルエンザの流行に備えて、流行からより短期間で製造できる技術が求められていた。

 UMNの技術はそんなニーズに応えるものだった。抗原となるたんぱく質の遺伝子配列が分かれば速やかに製造に着手できるし、細胞をタンクで培養して製造するので、量産化にも対応しやすい。UMNではそんな需要に期待し、新型インフルエンザワクチンと、季節性インフルエンザワクチンの両にらみで開発を進めた。

 10年にはIHIがパートナーとなって国内製造体制の整備に乗り出した他、アステラス製薬と共同開発、販売で提携。14年5月にはアステラスが厚労省に、季節性インフルエンザワクチンの製造販売承認を申請した。13年1月には同じ技術を使ったプロテイン・サイエンスのインフルエンザワクチンが米国で承認されており、全ては順風満帆に見えた。

 だが、UMNのインフルエンザワクチンに対して、日本で承認が下りることはなかった。14年に米国の研究者が、別の昆虫細胞のゲノム(全遺伝情報)を調べたところ、ウイルスのゲノムが挿⼊されていることが分かったと発表。ウイルスがヒト細胞に感染することなどは確認されなかったが、ワクチンの接種によりウイルスに感染するリスクが懸念された。この情報を得て日本の審査当局が慎重になったことが、審査が進まなくなった原因とみられている。

 ただ、培養細胞などのゲノムにウイルスのゲノムが挿入されてしまうのは珍しいことでなく、安全性などに問題が生じるケースはほとんど無いとされている。実際、米国でプロテイン・サイエンスのワクチンは特に問題なく販売され続け、17年にはフランスのサノフィがプロテイン・サイエンスを7億5000万ドルで買収。現在はサノフィがプロテイン・サイエンスのインフルエンザワクチンを販売している。

ウイルスのゲノムを除去

 それでも日本の審査当局の慎重姿勢は崩れなかったようだ。17年1月にアステラスは「承認取得は難しい」との判断からUMNとの契約を解除した。審査当局が慎重姿勢を崩さなかった背景には、09/10年の新型インフルエンザの流行から時間が経過する中で、多少のリスクはあっても短期間でワクチンを量産できる技術を確立しておくことに、意義を見いだせなくなっていたのかもしれない。

 アステラスとの提携解消の報を受けて、UMNの株価は大きく下落した。IHIと合弁で設立していた製造子会社UNIGENの株式も譲渡したが、それでも債務超過に陥った。

 そんなUMNに救いの手を差し伸べたのが塩野義だった。17年5月から協議を開始し、10月に資本業務提携を締結。まず、第1フェーズとして2年ほどかけて、両社で感染症予防ワクチンの基盤技術の整備などに取り組んできた。その結果、UMNはウイルスのゲノムが挿入されていない培養細胞を作ることに成功した。これを受けて19年7月から、共同研究の第2フェーズへの移行を協議する中で、塩野義がUMNを完全子会社化することで合意。約66億円を投じる公開買い付けを行い、UMNを傘下に収めた。

 従って今回、COVID-19予防用ワクチンの臨床試験にまでたどり着いたのは、塩野義にとっては悲願のワクチン事業進出への第一歩であり、UMNにとってはリベンジマッチだ。

 今回実施するのは200人程度の規模の第1/2相臨床試験で、安全性や、免疫を誘導できるかを確認したり、最適な接種量を確認したりするためのものだ。承認を取得するまでには大規模な比較試験が必要になる可能性もある。塩野義は「第3相臨床試験の実施については当局と相談中」としている。

臨床試験用のワクチンの抗原は秋田市のUMNの工場で製造する

 ちなみに、臨床試験に用いるワクチンの抗原は、秋田市にあるUMNの工場で製造するが、商業生産に向けては、UNIGEN株の譲渡先企業の協力を得て、経済産業省から150億円、厚労省から233億円という国からの助成金も活用してUNIGENに新たな生産ラインを構築する。21年末を目標に、年間3000万人分以上の生産設備の構築を目指している。

 国内では、この塩野義やアンジェス以外にも、第一三共や明治ホールディングス傘下のKMバイオロジクスなどが国からの助成を受けて国産ワクチンの研究開発を進めている。KMバイオロジクスは21年1月、第一三共は3月にも臨床試験を開始する予定だ。COVID-19の今後の状況や、さらに新しい感染症が登場しかねないこと、ワクチンの種類によって安全性や有効性に違いがあることなどを考えると、国内に幾つかのタイプのワクチンを製造できる基盤があることが望ましいといえよう。

この記事はシリーズ「橋本宗明が医薬・医療の先を読む」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。