③、④は、とりわけ技術革新が速い職場では多くのシニアが覚える感情だが、交通誘導は毎年「新たな誘導技術」が生まれるわけではない。「歩いてきた人やクルマがどう動こうとしているかを瞬時に見極める必要があり、実は頭も体も使うなかなか奥の深い仕事だが、やる気さえあれば高齢でも身に付けられる仕事」(柏さん)でもある。
道行く人やクルマの考えを読み続けるという部分は、脳科学に詳しい医師の加藤俊徳氏が年を取っても穏やかでいるために必要と指摘した、「相手の立場に立って人の考えを理解する力」を養う上でも役立ちそうだ。

そして⑤。一見単純に見える交通誘導員だが、「難しい状況を判断し、車や人の流れを上手に裁いたときには、思いの外達成感がある」と柏さん。加えてなによりの醍醐味は、現役時代にはなかなか会えなかった個性豊かな同僚と触れ合えることだ。
実際、『交通誘導員ヨレヨレ日記』には、「陽気なフィリピン人」から「80代のエロじいさん」「1人称が『オレ』のたくましい女性」まで、仕事上出会った様々な同僚が登場する。元映画監督に元経営者、元医者などあらゆる階層の人間が集まるのが、交通誘導員という仕事の面白さだという。
ヨレヨレ交通誘導員の醍醐味とは?
さらに柏さんは、程よく体を使う仕事で健康にいいこと、時折、人から感謝の言葉をかけられることも、この仕事の魅力だと話す。「例えば、清掃業は自分にはもうきついが、交通誘導なら問題ない。この仕事を始めてからは風邪を引いたことがない」。誘導していて、「お疲れさま」と声をかけてくれる人は10人に1人くらい。それでも1日中、誰にも感謝の言葉をかけられない仕事などいくらでもある。
つまり、一見世間では過酷に思われている交通誘導員は、見方によっては、「人に大きな迷惑をかけることもなければ、人に指図されることもなく、程よい刺激が伴う仕事」という面がある、というわけだ。「本当のことを言えば、夢は編集者・ライターとして再び成功すること。交通警備員になったことを含め、浮き沈み激しい人生に悔いはない」。柏さんはこう笑った。
もっとも、ここで紹介したのは働く当事者個人の受け止め方であって、「交通誘導員こそが、シニアが幸福になる可能性が高い仕事」など主張するつもりはない。言いたいのは、人生100年時代に普通のシニアが生涯現役で幸福になるには、どうやらそれまでの職業選びの基準や常識を変えた方がよさそうだ、ということだ。
例えば、「好き・嫌い」や「得意・不得意」だけでなく、少なくとも次の視点を入れるのはどうだろう。
(1)なるべく個人で完結する仕事を選ぶ(若者に指図される抵抗感など防止)
(2)なるべく技術革新の遅い仕事を選ぶ(周囲に迷惑をかけているという自責の念防止)
(3)なるべく人の考えを読み解く作業が必要な仕事を選ぶ(脳の劣化防止)
いつまでも第一線に立ち、若い世代のロールモデルとなり、後進を指導し、同世代に生き方の指針を示す――。そんな理想の「生涯現役」像だけに固執していては、「長生きという憂鬱」を追い払うのは難しい。
日経ビジネス2020年2月17日号の特集で取り上げるテーマは「人生100年時代」。生涯現役、シニア起業、趣味三昧……と様々なライフプランが語られていますが、課題や問題を含め決して一筋縄ではいかない現状を分析する予定です。日経ビジネス電子版では、この内容を一部先取りする形で公開しています。
▼連載①憧れの「生涯現役」 現実は20分に1度の高齢労災
▼連載②シニア労働力の幻想 現場の本音「正直、足手まとい」
▼連載③「老後は趣味三昧」を待つカルチャーカースト
▼連載④暇すぎる老後が生む「ネットクレーム」と「正義マン」
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