人生100年時代の到来で延長された老後の時間を幸福に過ごす上で、「生涯現役」で最期まで輝き続けることや「趣味三昧」で日々の暮らしを満喫することが大切なのは、疑いない。
実際に「93歳のバーテンダー」や「84歳のトップ化粧品販売レディー」、「87歳の水泳世界記録保持者」や「ティム・クックにハグされた84歳のプログラマー」はいずれも、取材であることを差し引いても、間違いなく輝いて見えた。
人生100年だからと慌てて老後の仕事や趣味を見つけても……(写真:PIXTA)
ただ、「生涯現役」や「趣味三昧」の問題は、すべての人がそれを実践すれば、幸せな老後が待つわけではないこと。とりわけ生涯現役や趣味の達人シニアたちはいずれも、現役時代から長い老後を見据え、スキル向上や環境整備を進めてきた人ばかりだ。
人生100年時代だからと慌てて老後の仕事や趣味を見つけても、周囲に対する遠慮や人間関係のもつれ、ストレスやミスなどから、長続きしないことが多いはずだ。また、「何もしない老後」に陥ってしまうと、最悪の場合、世間に迷惑をかける問題高齢者になりかねないことも、既に指摘した。
ではどうすればいいか。解決策の1つはごく単純に言えば、「普通のシニアが幸福にやり遂げられる可能性が高い仕事や趣味」を選ぶこと。それは、意外なところにあるかもしれない。
「最底辺の職業と思っている人は多いと思う」
紺色の作業着に身を包み、ヘルメットをかぶって、赤い誘導棒を振り回す。雨の日も風の日も現場に立ち、車や人を誘導し続ける──。「交通誘導警備員」は、数あるシニア向け職業の中でも最も過酷に思える仕事の1つだ。一方、高齢者の数が突出して多い職業の1つでもある。警察庁の「警備業の概況」によると、2018年末の警備員の数は約55万人。そのうち、60歳以上のシニアは44.1%に上る。
「最底辺の職業。はっきり言って、そう思っている人は多いと思う」
現役の交通誘導警備員で、73歳ながら週に5日前後は東京都内や千葉県を中心に現場に出る柏耕一さんは、穏やかにこう話してくれた。<当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます>。昨年7月にはこんなうたい文句を表紙に掲げたルポルタージュ『交通誘導員ヨレヨレ日記』(三五館シンシャ)を出している。
柏さんは大学卒業後、雑誌記者や編集者を経て、1981年、35歳のときに東京・神楽坂に事務所を構え、編集プロダクションを経営。以来、300冊以上の出版に携わり、10万部以上のヒット作も数多く手がけてきた。バブル期からの20年ほどは年収1000万円以上の時期が続き、不動産投資にも手を広げるなど羽振りのいい人生を満喫していたという。
だが2000年代に入り、出版不況が本格化すると風向きが変わる。事業収入が落ち込む中、生来のギャンブル好きがたたり、気が付けば、約2500万円もの税金を滞納するまでに。結局、個人事務所は数年前に清算に追い込まれた。そのとき、柏さんは70歳を過ぎていた。
健康であり、人生100年時代でもあるため、“残りの時間”はまだまだある。問題は経済面。事務所の清算で大きな借金を抱えたわけでなかったが、日々の生活の糧を稼がねばならない。こうして飛び込んだのが交通誘導員の世界だった。
シニアになって始めた交通誘導員。柏耕一さんは「老後を不幸だと思ったことはない」と話す
迂回のお願いにネチネチと文句を言うドライバーに、炎天や極寒の空の下で立ち続ける厳しさと、つらいことはある。だが、柏さんは「境遇だけ見ると“下流老人”かもしれないが、老後を不幸だと思ったことなんてない。むしろ、ありがたい仕事」と話す。
なぜそう思えるのか。柏さんの話を聞けば、交通誘導員という職業はよく見ると、「シニアが楽しくやり遂げられる仕事」の条件を案外兼ね備えていることが分かってきた。
シニアが仕事で幸せになれない5つの理由
今回の取材をまとめれば、生涯現役で、はつらつとした老後を希望するシニアが、仕事を通じてかえって不幸になったり、ストレスを抱えたりする要因はおおよそ次のようなものだ。
- 事故に巻き込まれる(起こしてしまう)
- 若い人からの指図に抵抗感を覚える
- 自分が足を引っ張っているという自責の念に駆られる
- 仕事を覚えられない
- 単純で刺激の少ない業務が退屈になる
交通誘導員にはこうした要素が少ない。まず①については、高所から転落したり、機械の誤操作で負傷したりすることがない。片側通行車線で案内ミスにより車が衝突する可能性はゼロではないが、死傷事故が起きる確率は、少なくとも建設業や製造業などの「20分に1度」に比べずっと低い。
②については、オフィスでの共同作業とは異なり、四六時中、上司の指示を受け続ける仕事ではない。柏さんによれば、「現場に配置された後も、横柄に細かく指示してくる現場リーダー」も中にはいるが、ほぼ毎日、現場とメンバーが変わるとあって、人間関係のもつれを引きずることは少ないという。
③、④は、とりわけ技術革新が速い職場では多くのシニアが覚える感情だが、交通誘導は毎年「新たな誘導技術」が生まれるわけではない。「歩いてきた人やクルマがどう動こうとしているかを瞬時に見極める必要があり、実は頭も体も使うなかなか奥の深い仕事だが、やる気さえあれば高齢でも身に付けられる仕事」(柏さん)でもある。
道行く人やクルマの考えを読み続けるという部分は、脳科学に詳しい医師の加藤俊徳氏が年を取っても穏やかでいるために必要と指摘した、「相手の立場に立って人の考えを理解する力」を養う上でも役立ちそうだ。
交通誘導員という仕事には、「シニアが幸せになれない理由」が少ないようだ
そして⑤。一見単純に見える交通誘導員だが、「難しい状況を判断し、車や人の流れを上手に裁いたときには、思いの外達成感がある」と柏さん。加えてなによりの醍醐味は、現役時代にはなかなか会えなかった個性豊かな同僚と触れ合えることだ。
実際、『交通誘導員ヨレヨレ日記』には、「陽気なフィリピン人」から「80代のエロじいさん」「1人称が『オレ』のたくましい女性」まで、仕事上出会った様々な同僚が登場する。元映画監督に元経営者、元医者などあらゆる階層の人間が集まるのが、交通誘導員という仕事の面白さだという。
ヨレヨレ交通誘導員の醍醐味とは?
さらに柏さんは、程よく体を使う仕事で健康にいいこと、時折、人から感謝の言葉をかけられることも、この仕事の魅力だと話す。「例えば、清掃業は自分にはもうきついが、交通誘導なら問題ない。この仕事を始めてからは風邪を引いたことがない」。誘導していて、「お疲れさま」と声をかけてくれる人は10人に1人くらい。それでも1日中、誰にも感謝の言葉をかけられない仕事などいくらでもある。
つまり、一見世間では過酷に思われている交通誘導員は、見方によっては、「人に大きな迷惑をかけることもなければ、人に指図されることもなく、程よい刺激が伴う仕事」という面がある、というわけだ。「本当のことを言えば、夢は編集者・ライターとして再び成功すること。交通警備員になったことを含め、浮き沈み激しい人生に悔いはない」。柏さんはこう笑った。
もっとも、ここで紹介したのは働く当事者個人の受け止め方であって、「交通誘導員こそが、シニアが幸福になる可能性が高い仕事」など主張するつもりはない。言いたいのは、人生100年時代に普通のシニアが生涯現役で幸福になるには、どうやらそれまでの職業選びの基準や常識を変えた方がよさそうだ、ということだ。
例えば、「好き・嫌い」や「得意・不得意」だけでなく、少なくとも次の視点を入れるのはどうだろう。
(1)なるべく個人で完結する仕事を選ぶ(若者に指図される抵抗感など防止)
(2)なるべく技術革新の遅い仕事を選ぶ(周囲に迷惑をかけているという自責の念防止)
(3)なるべく人の考えを読み解く作業が必要な仕事を選ぶ(脳の劣化防止)
いつまでも第一線に立ち、若い世代のロールモデルとなり、後進を指導し、同世代に生き方の指針を示す――。そんな理想の「生涯現役」像だけに固執していては、「長生きという憂鬱」を追い払うのは難しい。
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