水商売と言われていた外食業は1960年代に「産業化」が始まり、1970年から80年までの10年間に爆発的に成長した。今回は80年以降の「多様化の時代」を振り返る。それは今も外食産業を悩ます「外食デフレ」の始まりだった。


 日経ビジネスは、コロナ禍で苦しみ、今も苦境にあえぐ外食産業が向き合うべき構造課題を解きほぐした書籍『外食を救うのは誰か』を発行しました。書籍から内容を厳選してお届けする本連載。今回は、「外食産業60年史」の第2弾です。成長率が鈍化し、多様化が始まった外食産業はどのように変化したのでしょうか。

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低料金と豊富なメニューが受けて大繁盛の居酒屋チェーン店。1985年1月31日、東京・渋谷で撮影(写真:共同通信)
低料金と豊富なメニューが受けて大繁盛の居酒屋チェーン店。1985年1月31日、東京・渋谷で撮影(写真:共同通信)

 1980年代の外食市場は、成長率こそ年2~9%と1桁に下がったものの、右肩上がりで成長し続けた。その原動力となったのが、外食企業による業態開発だ。

 先行したのはすかいらーくだった。中華料理の「バーミヤン」、コーヒーショップの要素を強めた「ジョナサン」などを生み出す。総合力を売りにしたファミレスからの業態の分化を先取りした。

 その他の外食企業も「和食さと」や「レッドロブスター」といった専門性を高めた業態に進出。喫茶市場では、「ドトールコーヒーショップ」の1号店が80年に開業。喫茶のカジュアル化のきっかけとなった。

 市場成長の主役に躍り出たのは居酒屋だった。「村さ来」や「つぼ八」、「天狗」が出店攻勢をかけた。すかいらーく創業者の横川竟氏は、「ファミレスが新しい価値を生み出さなくなり、居酒屋が登場してよろず屋的な役割を引き継いだ」と語る。

 70年代から外食の産業化が一気に進んだことで、働く人の昼食は弁当から牛丼やハンバーガーなどファストフードに移り変わっていった。その産業化をけん引したファミレスは、80年代に入って成長に陰りが見えてきた。御三家と呼ばれたすかいらーく、ロイヤルホスト、デニーズの競争激化で店舗数が増えたことに加え、ピザやハンバーグなどかつての主力商品を超える新機軸を打ち出せずにいた。

 消費者は平日の昼に食べるファストフードと、週末に家族で楽しんでいたファミレスに違いを見いだせなくなる。そんなとき、居酒屋がファミレスに代わる家族の受け皿になった。ビールとおつまみ、子どもの喜ぶ商品と多様なメニューをそろえた居酒屋は順調に成長した。アルコール文化が広がり、焼酎ブームなども生んだ。おしゃれなアルコール業態も増えていく。

 80年、長谷川実業(現グローバルダイニング)が東京・原宿に「ラ・ボエム」をオープンした。80年代後半にさしかかると、日本はバブル景気に突入する。85年のプラザ合意で円高が急激に進み、低金利政策で市中に回るお金が増えていった。

 高級の代名詞となったフランス料理、カジュアルと洗練が融合したようなイタリア料理、激辛のエスニック料理などが広がり、料理店を紹介する雑誌も増えて「1億総グルメ」の時代に入った。価格、素材の質、調理法、店舗の雰囲気など競争軸も複層化し、外食業は切磋琢磨(せっさたくま)していった。

 人件費の高騰や地価の上昇は向かい風となったが、人々の消費意欲の高まりがそれを上回る追い風となった。日本フードサービス協会調べでは、家計における「外食率」は75年の27.8%から、80年は31.8%、90年は37.7%へと順調に上昇。86年には外食産業の市場規模が20兆円を突破した。百貨店を上回り、サービス産業の中で有数の存在に成り上がった。

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