セブン-イレブンを大きく成長させた鈴木敏文氏がセブン&アイ・ホールディングス(HD)の会長を退いて約6年。巨大小売企業の今、そして未来をかつての「カリスマ」はどう見つめているのだろうか。「時代を見つめ、変化に順応せよ」。その言葉には後輩たちへの叱咤(しった)激励が込められている。

<span class="fontBold">鈴木敏文(すずき・としふみ)氏 <br>セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問</span><br>1932年長野県生まれ。56年中央大学経済学部卒業、東京出版販売(現トーハン)に入社。63年ヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)に入社。73年ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)を創設。78年社長。92年イトーヨーカ堂社長。2005年セブン&アイ・ホールディングスを設立、会長兼CEO(最高経営責任者)に就任。16年に退任し現職。(写真:的野 弘路)
鈴木敏文(すずき・としふみ)氏
セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問

1932年長野県生まれ。56年中央大学経済学部卒業、東京出版販売(現トーハン)に入社。63年ヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)に入社。73年ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)を創設。78年社長。92年イトーヨーカ堂社長。2005年セブン&アイ・ホールディングスを設立、会長兼CEO(最高経営責任者)に就任。16年に退任し現職。(写真:的野 弘路)

セブン&アイ・ホールディングスの会長を退任する約6年前まで、セブン-イレブン・ジャパンの立ち上げなどを通じて小売業界の仕組みを塗り替えてきました。一番心に残っている経験は何でしょうか。

鈴木敏文・セブン&アイHD名誉顧問(以下、鈴木氏):セブンイレブンを立ち上げる時はまず「コンビニ」とは何だろうというところから始まった。やはり「コンビニエンス」、つまり「便利」な店ということになる。コンビニという言葉は米サウスランド(現・米セブン-イレブン)から取ったけれど、実際には、向こうのやっていることとは関係なしに、日本における「便利」とはどういうことかをずっと模索してきたわけ。何かをまねしたわけではない。まねしたのはコンビニという言葉だけだね。

 日本の場合、コンビニと言えば何だとなれば、おにぎりとかお弁当と答える人が多いでしょう。それが今や当たり前だけど、私は最初から米飯を進化させて消費者に歓迎してもらうにはどうすればいいんだというような考え方でずっと進めてきた。日本の人たちが何を望んでいるかをリサーチして、そしてその結果を追い求めると。

どんなところに注目して日本人にとっての「便利」を追求していったのでしょうか。

鈴木氏:最初に、日本人が一番求めるものは何だろうかと相当ディスカッションしましたよ。すると日本人はやはりお米だろうと。じゃあどうすればいいんだ、となり、やはりおにぎりだと。

 おにぎりは伝統的に食べられてきたけど、それを売っている店なんてほとんどなかった。でも米食はこれだけ文化として続いている。みんなが手軽に手に取れるようにしたらいいんじゃないかという考え方で追求したということですね。

消費者としてコンビニを使っていて一番驚いたのはATM(現金自動預け払い機)の設置が始まった時です。金融業界は非常に参入障壁が高いですし、高度なセキュリティー体制も不可欠です。

鈴木氏:金融機関は午前9時ごろから開いて、午後3時には閉まっちゃう。非常に不便ですよね。そういう不便なものを便利にしようということで考えてきたのでね。店に並ぶ商品も、こういうものを置いたらどうなんだろうかというふうに、一つ一つ追求してきた結果です。

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