2020年12月、世界最大級のワイン品評会「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)2020」のSAKE部門で、平和酒造(和歌山県海南市)の「紀土 無量山 純米吟醸」が最優秀賞「チャンピオン・サケ」に選ばれた。

 IWCは世界で最も権威あるコンテストの1つとされ、2020年は1401銘柄の日本酒がエントリー。SAKE(日本酒)部門は9つのカテゴリーでブラインドテイスティングによる審査が行われ、各カテゴリーの優秀銘柄から、最優秀の1銘柄にチャンピオン・サケの称号が与えられる。

 平和酒造はSAKE部門での優勝のみならず、エントリーした複数の銘柄が高評価を得て、酒蔵として「サケ・ブリュワリー・オブ・ザ・イヤー」にも選出。19年に続き、初の2冠という栄誉を獲得した。

 平和酒造の山本典正社長は「あきらめずに続けてきたことが評価につながり、大変うれしい」と受賞の喜びを語る。16年前、4代目として実家の平和酒造に戻り、山本社長が手がけた組織改革や人材育成が酒造りにつながり、実を結んだかたちとなった。

 山本社長の著書『個が立つ組織』には、自ら断行した数々の改革内容がつづられている。受賞に至った理由の1つは、チーム力が育ったことにあるという山本社長に話を聞いた。

酒蔵であれば一度は手にしたいと願う栄誉を獲得しました。受賞を知って、どんな感想を持ちましたか。

山本典正(以下、山本):驚きました。16年前に家業に戻り、いい酒をつくるという目標に向けて今まで手がけてきた方向性が誤りではなかったとようやくホッとした気持ちです。何よりこの受賞は社員のチーム力で得たもの。そうした意味では私自身、社員の歓喜の輪の中に入るよりは、皆が喜んでいるのを後ろから眺めている感じです。受賞とともに、チームが育った実感を得て本当にうれしいです。

コンテストでは銘柄を隠しての審査が続き、純粋に味が評価されます。何が結果につながったと思いますか。

山本:酒造りは毎年異なるコメや水の状態を見ながら試行錯誤していく過程が非常に大切です。平和酒造では、杜氏一人が考えるのではなく、社員一人ひとりが自発的にどう改善すれはよりよい酒になるかを真剣に考えて日々議論し、ブラシュアップしてきました。これが結果に結びついたと感じています。

<span class="fontBold">山本 典正(やまもと・のりまさ)</span><br />平和酒造社長。1978年、和歌山県生まれ。京都大学経済学部卒業後、人材系ベンチャー企業を経て2004年、実家の酒蔵に入社。4代目として伝統的な酒蔵の組織・人材改革を手がけ、大量生産の紙パック酒の製造から自社ブランドサケの開発・販売へと軸足を転換、業績を伸ばす。19年、京都大学経営管理大学院修了。著書に『個が立つ組織』(日経BP)など(写真:小野さやか)
山本 典正(やまもと・のりまさ)
平和酒造社長。1978年、和歌山県生まれ。京都大学経済学部卒業後、人材系ベンチャー企業を経て2004年、実家の酒蔵に入社。4代目として伝統的な酒蔵の組織・人材改革を手がけ、大量生産の紙パック酒の製造から自社ブランドサケの開発・販売へと軸足を転換、業績を伸ばす。19年、京都大学経営管理大学院修了。著書に『個が立つ組織』(日経BP)など(写真:小野さやか)

書籍『個が立つ組織』にもありましたが、16年前、山本さんが家業に戻ったとき、主力商品は日本酒のパック酒でした。大量生産・大量消費時代が終わり、このままでは経営が立ち行かないと、自社ブランド酒「紀土(キッド)」の開発に着手しています。

山本:はい。この「紀土」の商品開発の礎となったのが人材育成です。酒蔵としては全国に先駆けて大学新卒の採用を開始。また創業以来、杜氏一人に頼っていた酒造りのプロセスをすべて開示してもらい、マニュアル化して、若手社員の育成に努めました。

 平和酒造では、例えば「責任仕込み」と称して、日本酒造りを一定割合、若手社員に任せています。1人が複数本のタンクを担当し、自力で最初から最後までを手がける。これにより誰が管理した酒がどんな仕上がりになったかが明確化し、一人ひとりが確実に技術を身に付けることができるようにもなりました。

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