書籍編集者にとって最大の楽しみであり、最大の苦しみは書籍の表紙を選ぶときだ。書籍の表紙はいわば顔。売れ行きにもかかわってくる重要な要素であり、書店の売り場に並んでいる風景をイメージしながらデザインを決めていく。
書店の売り場に何度も足を運ぶ。「最近は白地に黒字でタイトルを置くパターンが多いな」「写真を全面に使ったものが増えてきたな」といったその時々のトレンドを頭に入れる。こうしたトレンドを押さえつつ、売り場で埋没してしまわないかも考慮しなければならない。一度決めてしまえば、もう変えられない。プレッシャーの中で慎重に慎重を重ねて決めていかなければならない。
先日、2021年1月12日に発売する『スケールフリーネットワーク ものづくり日本だからできるDX』の校了を迎えた。この表紙を決める過程は過去最大といっていいほど頭を抱えてしまった。同書は東芝執行役上席常務・最高デジタル責任者を務める島田太郎氏と、京都大学大学院でAI(人工知能)を研究し、現在はフューチャリストとして活動する尾原和啓氏による共著となる。
今回、デザインを担当いただいたのはトリプルライン(東京・渋谷)の代表を務める中川英祐氏だ。中川氏には2019年9月に発売した『ディープテック 世界の未来を切り拓く「眠れる技術」』も担当していただいている。こちらの意図を最大限くみ取ってデザインをしてくれる力強いパートナーだ。
最初に中川氏から送られてきたデザイン案は以下の10案だった。
タイトルを英語にするか、カタカナにするか、横書きにするか、縦書きにするか。配色だけでなく様々なパターンを出してもらう
ここから絞り込んでいき、最終的に以下の2案になった。
この段階では紙も指定し、印刷会社に実際と同様、印刷してもらう。手に取った感触なども確かめる
編集部にいるベテラン編集者や記者をつかまえては意見を聞くのだが、みな意見が少しずつ異なる。『スケールフリーネットワーク』は製造業に強い日本がGAFAと呼ばれる米大手IT企業とどのように対峙していくかをテーマにしている。そのため、落ち着いたデザインである左側がいいという意見が出る一方で、翻訳本の印象を受けるという声も出てくる。
一方、著者の一人であるフューチャリストの尾原和啓氏は今でもベストセラーとして売れ続けている『アフターデジタル』の共同著者でもある。そして、今回のスケールフリーネットワークの内容は、一貫して日本企業が進むべき道を照らすという意味で『アフターデジタル』『ディープテック』の系譜に連なる。重厚感はなくても、「アフターデジタルと同様、グラデーションを用いたデザインの方が書店も売りやすいのではないか」との意見が出る。
デジタルの世界と違って悩ましいのは、パッケージデザインは一度決めてしまうとしばらくの間、変えられない点だ。デジタルの広告で頻繁に用いられるスプリット・ラン・テスト(複数のクリエイティブを同時に出稿して反応率や注目率を確かめる手法)も簡単に実施できない。
書籍の校了も近づき、じりじりと決断のタイミングが迫ってくる。そんなさなか、たまたま別の仕事で知ったプラグ(東京・千代田)のオフィスへ初めて訪問することになった。事業の取り組みについて話を聞くためだったが、リモートワークが続く中、気分転換がてら外に出たかった側面もある。
聞けば同社は成り立ちが珍しい会社で、デザイン会社と調査会社が合併して2014年に設立されたという。今でもパッケージデザインを専門にするチームと市場調査を専門にするチームがある。同社の小川亮社長が事業の説明を進めていく中で、面白いツールの説明を始めた。膨大なパッケージデザインに関する消費者調査結果をベースに、デザインの好意度を予測する「パッケージデザインAI」だ。
パッケージデザインAIは2015年から2020年にかけて年に2回実施する消費者調査結果が教師データとして取り込まれている。調査対象は20代から50代の男女で1商品につき1000サンプル。5907商品で590.7万サンプルのデータが取り込まれている。調査対象は飲料や食品、日用品など23カテゴリー。新商品が95%を占めている。東京大学大学院情報理工学系研究科の山崎俊彦准教授率いる山崎研究室との共同研究も進めている。
SaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)として提供されており、画像データをアップロードすると「パッケージデザイン好意度」「ヒートマップ」「イメージワード」「好意度のばらつき」がものの数分で分かるという。
小川社長がデモを始めようとしたため、書籍のデザインが決めきれずに悩んでいることを正直に伝えた。すると、「画像データを今、送ってもらえればすぐに結果が分かりますよ」と言う。その場でパソコンを開き、インターネットに接続して決めきれずに悩んでいた画像データの2パターンを送った。出てきた結果が以下だ。
好感度予測スコアの結果。シンプルなデザインが「Design1」(右)、グラデーションが入ったデザインが「Design2」(左)となる(提供:プラグ)
30代男性からはDesign1が、40代男性からはDesign2の評価が高いという結果になった。50代男性のスコアはあまり変わらない。次の結果はヒートマップだ。ヒートマップはウェブページのアクセス解析でもよく使われる可視化グラフの一種で、行列型の数字データの強弱を分かりやすく色で視覚化する。米国の起業家でありソフトウエアデザイナーのコーマック・キニー氏が米カーネギーメロン大学の上級研究員であるマーク・H・グラハム氏と編み出した手法だ。
どの部分が主に見られているのかが一目で分かるメリットがあり、ウェブページのデザインなどではボタンの配置や訴求したいメッセージの配置など、UI(ユーザーインターフェース)やUX(ユーザー体験)の改善に用いられている。
ヒートマップの結果。両デザインともにタイトルの中心部からやや右上が見られている(提供:プラグ)
書籍のメーンタイトルに注目が集まっていることが分かる。次に紹介するのが、イメージワードだ。調査結果の自由回答から自然言語処理技術を使って抽出されたもので、プラグでは好意度の理由を19(非飲食系は18)のイメージワードに絞って計測している。「かわいい」「シンプル」「季節感」 といったものから、「洗練」「目立つ・印象に残る」「効果・効能を感じる」といったものまで幅広い。
「高級感・上質感」を感じさせるのはDesign1、「目立つ・印象に残る」のはDesign2という結果になった(提供:プラグ)
「目立つ・印象に残る」「効果・効能を感じる」「高級感・上質感」は上記の結果となった。「効果・効能を感じる」「高級感・上質感」ではDesign1がDesign2を凌駕(りょうが)し、「目立つ・印象に残る」ではDesign2に軍配が上がった。以下は同じく、イメージワードの結果で「新しい・ユニーク」「洗練」「シンプル」で比較したものになる。
「新しい・ユニーク」「シンプルなイメージ」ではDesign1、「洗練」されている雰囲気ではDesign2が評価されている(提供:プラグ)
シンプルなデザイン案は「新しい・ユニーク」「シンプルなイメージ」の評価が高くなり、グラデーションが入ったデザイン案は「洗練」された雰囲気で評価が高い結果となった。18項目すべての結果が以下となる。
概ねDesign1がDesign2を上回るも、「洗練」「目立つ・印象に残る」「綺麗・美しい」「爽やか・清涼感」「やさしい」でDesign2がDesign1より勝った(提供:プラグ)
パッケージデザインAIでは世代・男女別の好感度のばらつきも分かる。今回は30代から50代までの男性で見てもらった。
両方のデザインで好みのばらつきは30代で高く、50代で低いという傾向が見られた。Design2についてのみ50代の好き嫌いが分かれる傾向が見られた(提供:プラグ)
全体的な調査結果について、小川社長は「Design1は30代に、Design2は40代に好まれるという傾向が見られた。イメージでいえばDesign1はシンプルで特徴が分かりやすく効果がありそうだと思われており、Design2はデザインが美しくて清涼感があり、目立つと評価されている」と総評した。
結局、どちらのデザインを採用したかは『スケールフリーネットワーク ものづくり日本だからできるDX』を見ていただきたい。
デザインの領域は主観と客観、センスと経験が入り乱れ、極めて判断が難しい。乗降者の多い主要駅近隣では、頻繁にパッケージデザインに対する調査が行われている。調査費用と時間をかければ、ある程度のデータは取得できる。
一方、通販業界では、デジタルの世界でスプリット・ラン・テストを実施し、その調査結果を基に紙のDM(ダイレクトメール)のデザインに落とし込むという取り組みが展開されてきた。相手が見えない通販業界ならではの手法といえる。
プラグが提供するパッケージデザインAIは、膨大なデータを基に瞬時に評価ができるシステムを構築している点でこれらの手法と一線を画している。積極的に活用しているのはカルビーで、19年10月に中身とデザインをリニューアルしたスナック菓子「とうもりこ」と「えだまりこ」、20年9月に中身とデザインを刷新したスナック菓子「クランチポテト ソルト味/サワークリームオニオン味」でパッケージデザインAIが貢献している。
デザインの決定において常に正解はない。だが、ベースとなるデータがあって初めて建設的な議論ができるのも事実だ。一見、対立しそうな「デザイン」と「データ」がAIによって融合していく潮流が、オフラインの世界にも流れ込んでくる日はそう遠くないのかもしれない。
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