ホンダジェット藤野氏、日本にいたら成功しなかった可能性もある
「逆・タイムマシン経営論」をめぐるホンダジェット開発者との対話(1)
世界的なヒットになった小型ビジネスジェット機の「HondaJet(ホンダジェット)」。2015年の運用開始から今では約160機が世界で運用されており、小型ジェット機分野における販売シェアは2017年から3年連続で世界トップに君臨する。
そんなホンダジェットの設計・開発責任者がホンダ エアクラフト カンパニー社長兼CEO(最高経営責任者)の藤野道格氏だ。ホンダに入社してから30年間航空機の開発に携わり、ユニークな小型ビジネスジェット機をゼロから設計し、商用化まで実現させた。
そんな藤野氏が『逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知』(日経BP)の著者の1人である一橋ビジネススクール教授の楠木建氏とオンラインで対談した。
技術革新への対応など過去の経営判断を振り返り、今の経営に生かす「逆・タイムマシン経営論」を読んで、「さまざまな共感と気づきが得られた」と語る藤野氏。航空史に名を残すエンジニアであり、航空機メーカーの経営者でもある藤野氏は同書を読んで何を感じたのか。対談記事の第1回では航空機産業における思い込みと歴史に学ぶことの重要性などについて語り合った。
(司会はクロスメディア編集部長、山崎良兵)
楠木 建(くすのき・けん)
一橋ビジネススクール教授。1964年生まれ。89年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年から現職。専攻は競争戦略。(写真:的野弘路)
藤野 道格(ふじの・みちまさ)
ホンダ エアクラフト カンパニー社長兼CEO。1960年生まれ。84年に東京大学工学部航空学科卒業後、ホンダ入社。航空機の開発に関わり、「HondaJet」の設計・開発責任者。2006年から現職。「Aircraft Design Award」(米国航空宇宙学会)、「ケリー・ジョンソン賞」(SAEインターナショナル)、「ジューコフスキー賞」(国際航空科学会議)を受賞。
藤野さんとは、山崎が責任者を務めた2014年の「日本イノベーター大賞」で大賞を受賞された際に、取材して記事をまとめさせていただいて以来です。大変ご無沙汰しております。当時は「HondaJet(ホンダジェット)」が商用化される直前で、藤野さんの気持ちのこもった受賞スピーチと美しい機体が舞い上がる動画に感動したという声が多く寄せられました。
さて今回は、『逆・タイムマシン経営論』の共著者である楠木さんと藤野さんの対談をお願いしたいと思います。
楠木建(以下、楠木):今日はお時間をつくっていただき、ありがとうございます。
藤野道格(以下、藤野):日経ビジネス電子版で「逆・タイムマシン経営論」の連載を読ませていただいていた時、とても面白いと思いました。
楠木:ありがとうございます。
藤野:航空機開発に携わるには、常に長期的な視野でいろんなものを見なければなりません。10年前に考えたことに基づき現在の仕事をやっていて、今は10年先のことを考えて仕事をしないといけない。だから、自然と長期的なものの見方になっています。
また私は長年アメリカに住んでいますが、日本との違いを感じることが多い。ですからそれについて、いつか自分で本を書きたいと思っていました。そんな時に楠木先生の『逆・タイムマシン経営論』に出合って、とても上手にまとめてあるなと感心しました。
実は、私も(画面上で見せて)こういうふうに10年前の日経ビジネスを持っていて、時々見直しています。ですから逆・タイムマシン経営論を読んで、先生が私よりも先に、そしてとても面白くまとめられていて、先を越されて半分悔しいなと思うところもありました(笑)。
楠木:私は大学教授という職業柄、調べ物をする機会が多いのです。今はデジタルで情報が整理されているので、キーワード検索をすると一発で欲しい情報が見つかります。
しかし学生時代はそうではありませんでした。図書館の書庫で、目当ての記事を電話帳みたいな雑誌記事索引のバインダーで探して、メモを取って、書庫に行って記事のコピーを取る。今なら1秒でできることを、2時間くらいかけてやっていました。その作業の中で、自然と目当ての記事以外のいろんな記事が目に入ってきます。
とんちんかんな20年前の記事が逆に面白い
楠木:今からみると本当にとんちんかんなことを20年前に言っている記事があったりしました。それが逆に面白くて、読んでいると半日くらい時間が過ぎてしまう。そんな経験があって、前々から、さまざまな過去記事を振り返ったときに見える本質について、本を書いてみたいなと思っていたのです。
ある程度なら誰もが似たような経験はお持ちだと思いますが、藤野さんのように、ご自身で昔の雑誌を取っているという方には、あまりお目にかかったことがありません。それは、どのような理由からですか?
藤野:特に意識して残しているわけではないのですが、過去に起きたこと、あるいは、自分が意思決定したことに対して、後で確認したり考察したりする作業が重要だと思うので、これは将来必要になるかもしれないと思ったものは全部残しているんです。
飛行機を開発する場合、何か新しいことを思いついたとき、過去の歴史、理論や実験結果などを全部チェックする必要があります。米航空宇宙局(NASA)の発表や研究者が書いた論文を調べて、それらで網羅されていることと、そうでないことを洗い出します。これは、論文を書く時も同じだと思います。5年といったスパンではなく、30年くらいさかのぼってチェックします。そういうことが、比較的習慣になっているように思います。
2019年まで3年連続で小型ジェット機の分野でシェア世界一になったHondaJet
人材の採用などでも、こうした長期的なものの見方は重要です。その人のそれまでの経験や実績という過去についてはもちろんですが、能力や将来の可能性を見極め、将来のその人材の生かし方を考えなくてはいけません。過去とともに将来も考察することが同様に大切だと思います。
また日本の人は「アメリカの教育システムはすごい」と盲目的に信じて、「アメリカの大学にいたのだからすごい」とか、「アメリカの一流メーカーにいたからすごい」というような理由だけで、その人を判断して採用してしまうこともあるので注意しなくてはいけないと思います。
これは技術だけでなく、ビジネス、教育、スポーツなどでも同じことがあって、そこは、楠木さんが逆・タイムマシン経営論の中で、「遠近歪曲トラップ」としてまとめられている部分と近いなあ、と思っています。私としてはかなり響くところがあったんですね。
楠木:私が本の中で言っているような、どうしても近いものは粗(あら)が目立ち、遠くのものはよく見えるという「遠近歪曲トラップ」は、日本に限らず、世界中どこにでもあります。それは人間の本能的なバイアスの1つだと思います。
藤野:全く同感です。
「ボーイングは100%正しい」というような思い込み
楠木:航空機の分野で、藤野さんが実際にお気づきになった事例などありますか?
藤野:そうですね。航空機産業はアメリカがトップだ、という固定観念があります。例えば、ボーイングがこう言っていると聞くと疑うこともなく「それが100%正しい」といったような思い込みをする場合がすごくよくあります。
最近は、外国人技術者という言葉が(日本の)記事によく出てくることにも違和感があります。我々のようにアメリカで仕事をしていると、いろんな国から技術者が集まってきて仕事をするのが日常です。日本人が一律に「外国人技術者はスキルセットを持っていて、航空機のプロだ」と言って信じているような感じなのは、すごく違和感があります。
野球で例えるなら、マイナーリーグの選手を、力量も分からないのに、いきなりメジャーの試合に先発させるようなことをしていると感じることも時々あります。日本人の技術者でも優秀な人もいるし、外国人技術者でも本当のスキルを持っていない方もいるのですから、その本質を的確に見極める目が大切だと思います。
もう1つは、時間的なトラップです。特に日本の方はどちらかというと、「昔はすごかった」と言うケースが多いように思います。元プロ野球選手の大御所が、ダルビッシュ(有)投手の投球を見て「稲尾(和久投手)の球はこんなもんじゃなかった」と言うようなイメージです。確かにそれぞれの時代でトップだった人は特別な人たちだったと思いますが、現在の技術とは単純に比較できません。時代によって技術も進化、変化しています。これはアメリカと日本で少し違う感じがしますが、日本人の中には飛行機の世界でも、同じような時間的な遠近歪曲トラップに陥っている例もあるのではないかと思います。
楠木:日本から見て、航空機はアメリカが世界一で、ボーイングが何かを言っているだけで「すごい」と思っていたら、ホンダジェットは出てこないはずです。歴史が長いアメリカの航空機産業は進んでいるし、世界のトップであることは間違いないわけですが、やっていることが何でも正しいわけではありません。藤野さんが事業を始めるに当たって、アメリカやボーイングといった、いわば遠くにあるキラキラしたものを、最初の頃は、どういうふうに見ていらっしゃったのでしょうか?
一緒にいると本当の姿がだんだん見えてくる
藤野:もちろん、私もアメリカに来た当時は、ボーイングやNASAについては、先ほどの楠木先生の表現にかなり近い感じを持っていました。ただ、NASAの人やボーイングのOBの方と一緒に仕事をしていると、その本当の姿、すなわち何が本当で、何が本当でないのかといった実力がだんだん見えて分かってきます。20代からそういう経験をしてきたので、私の航空機産業の見方に関するキャリブレーション(調整)は20代に培われたという感じです。
今振り返ってみると、もし私がずっと日本にいて、日本の中でホンダジェットのコンセプトを提案していたとしても、いまだに認められず、成功していなかった可能性もあったのではないかと思います。日本ではNASAやボーイングといった権威の前例がなくても認められるケースはとても少ないからです。そのようなアメリカと日本の違いをよく分かっていたので、私は最初から論文をアメリカで発表し、最初にアメリカの権威であるAIAA(米航空宇宙学会)から認められ評価されたことを、(ある意味で)利用した部分もあります。アメリカの航空業界のオーソリティー(権威)の評価があったからこそ、日本でも認められたようなところもあるのだと思います。
しかし、日本でこれはよくあることです。(特許を多数保有する)半導体の研究者で、東北大学総長や首都大学東京学長を歴任された西澤潤一先生がかつてこういった趣旨のことをおっしゃっていました。「自分の技術を日本企業に持っていくと、これは西澤の発明じゃないと言われる。外国企業に行くとこれは西澤の発明だ、と言われる」と。
アメリカでもいろいろな人がいて、もちろん全ての人が同じではありませんが、NASAやボーイングなどの中には他者に迎合しないで本質を見抜く人もいるのが日本との違いのように感じます。日本はみんながコンセンサスを持って一緒にやっていることが多いので、それが強みでもありますが、まったく新しいコンセプトに対して概して否定的で(たとえそれが正しいと感じたとしても)多くの人を敵に回しても「すごい発見だ」と言える人はほとんどいないと思います。
アメリカ人の中には率直にそれができる人もいることが、アメリカのすごいところだと感じます。私がいろいろなチャレンジをした際に、その本質をきちんと評価して認めてくれる人がいたのは素晴らしいことだったと思います。
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これまで多くの企業が、日本より先を行く米国などのビジネスモデルを輸入する「タイムマシン経営」に活路を見いだしてきた。だが、それで経営の本質を磨き、本当に強い企業になれるのだろうか。むしろ、大切なのは技術革新への対応など過去の経営判断を振り返り、今の経営に生かす「逆・タイムマシン経営」だ。
経営判断を惑わせる罠には、AIやIoT(モノのインターネット)といった「飛び道具トラップ」、今こそ社会が激変する時代だという「激動期トラップ」、遠い世界が良く見え、自分がいる近くの世界が悪く見える「遠近歪曲トラップ」の3つがある。
こうした「 同時代性の罠 」に陥らないためには、何が大事なのか──。近過去の歴史を検証し、「新しい経営知」を得るための方法論を提示する。
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