善意の会社員が見落としがちなこと
池上:最初に水俣病の症例が報告されたのは、1956年4月です。原因は、新日本窒素肥料(現チッソ、以下は「チッソ」で統一)という会社が出していた工場排水に含まれる、メチル水銀化合物にありました。ただ、この因果関係が明らかになるまでにはかなり時間がかかりました。当時のチッソは、プラスチックの可塑剤の原料となるアセトアルデヒドの製造で、大成功を収めていたんですね。それまで輸入に頼っていた「オクタノール」という物質を、アセトアルデヒドから誘導・合成することに成功するなど、技術力を誇っていました。
当時、チッソで働いていた研究者はきっと、もっといい可塑剤が作れれば、会社に貢献できる、日本の化学工業界にも貢献できると考えていたと思います。ただ、それだけだと大成功していたアセトアルデヒドの工場周辺で、なぜか奇妙な病気にかかって苦しむ人が出てきているということが、なかなか目に入ってきません。
しかし、チッソの労働組合はやがて、水俣病の被害者の支援に動くようになります。その過程には「自分たちは人間としての志を持っていたか?」「人間として大事なことを忘れていなかったか?」という葛藤があり、気づきがあったのだと思います。
こういうことに気づくには、そもそも人間とは何だろうか、ということを、若いときから幅広い学びのなかで考えることが必要です。若いときに、どれだけ本を読んでいるか、幅広く本を読んでいるか、小説を読んでいるか。
小説ですか。
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