教養とは「自分を自由にする技」
池上:ジョブズは、マウスを使ったパソコンからスマートフォンまで、私たちの生活を大きく変える革新的な製品を多く世に出しましたが、大学はドロップアウトしています。その彼が、唯一大学でちゃんと学んだのが、カリグラフィーでした。ペンを使った西洋書道ですね。カリグラフィーを学んだことが、アップル製品の妥協ないデザインにつながったと、ジョブズは語っています。
カリグラフィーは、いかにもビジネスには「役に立たなさそう」な教養学問ですが、未来を生む創造的な力をジョブズにもたらしました。
逆にいえば「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」。前回、教えていただいた小泉信三氏の言葉を思い出します。
池上:日本企業がアップルのような製品を出せないとしたら、教養が足りない、のかもしれません。
一方、経営学の世界では昨今、「両利きの経営」が大変な注目を集めていますよね。米国のスタンフォード大学とハーバード大学の先生たちが広めた考え方で、イノベーションを起こすには、既存事業の知見を深掘りする「知の深化」だけでは不足があるとします。知の深化と同時に、いろいろなことへ知見を広げていく「知の探索」が必要である。この2つを同時並行でできるのが両利きの経営で、これこそがイノベーションを生むというわけです。
私と上田先生は、東工大で教養を教える仲間であるわけですが、この論を大学教育に当てはめるなら、知の深化を促すのは専門教育であり、知の探索を担うのが教養教育、ということになります。
社会の側の教養に対する需要としてもう1つ、上田先生が前回、「人としての根っこのようなもの」が必要なのだと指摘されていました。
上田紀行氏(以下、上田):はい、ショートタームの評価に駆り立てられて働く、現代の日本人にとって切実な課題だと思います。
私は今、東工大の副学長ですが、やっぱり評価システムにさらされているわけです。だいたいのみなさんが、今は評価にさらされていますよね。しかも、四半期だとか、毎月だとか、評価のスパンが短い。それはなかなかしんどいことです。
そういう状況を生き抜くうえで、評価とか成果とかと関係なく、自分の魂が喜ぶところを知り、心に持っておくことは重要だと思います。音楽でも小説でも哲学でも短歌でもボランティア活動でも、自分の魂が深く喜ぶところを1つでも2つでも知っていれば、短期的な評価だとか、儲かるかどうかといった話で心がぐらつくことは減っていきます。それが教養であり、リベラルアーツであり、リベラルアーツというのは、その名の通り、「自分を自由にする技」なんですね。
リベラルアーツは、自分を自由にする技、ですか。
上田:はい、話はギリシャ・ローマ時代まで遡ります。

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