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 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、真田幸村、上杉謙信……。歴史に名を残す英雄たちは、どのような失敗を経験し、そこから何が学べるのか。日経BPから『歴史の失敗学』を刊行した歴史家の加来耕三氏が、独自視点の軽快かつ濃密な歴史物語で25人の英雄たちの“知られざる失敗の原因”を明らかにし、ビジネスパーソンに役立つ教訓を浮かび上がらせる。

 今回取り上げるのは徳川家康。己の無能さを客観的に見ることができた稀有な人物だった。武田信玄に負けた屈辱の戦いから得た教訓を生かせたことが関ヶ原の勝利につながった。家康の失敗に学ぶ力とはどのようなものなのか。加来氏に聞いた。

(聞き手は田中淳一郎、山崎良兵)

徳川家康はずる賢く、したたかなイメージが強い人物です。関ヶ原の戦いでも小早川秀秋が裏切るように仕向けることで、勝利を手にしました。一方で、265年間も続くことになる徳川幕府の基盤を揺るぎないものにした用意周到な性格でも知られます。

加来耕三氏(以下、加来):信長型や秀吉型の英雄はいますが、家康型はいません。家康は想像できないほどの絶望の中でも寛容さを持つことができた人物です。諸説ありますが、自分の長男である松平信康(まつだいら・のぶやす)を死に追いやったとされる家臣の酒井忠次(さかい・ただつぐ)を、徳川四天王の1人として重用しています。

 織田・徳川連合軍と武田信玄が相まみえた「三方ヶ原の戦い」。家康はこの戦いで大敗した自分の情けない姿をあえて描かせました(後世に描かれたともいわれています)。そんな武将は古今東西ほかにいません。

三方ヶ原の戦いで徳川家康は武田信玄に痛恨の敗北を喫した(画:中村麻美)

 蒙古襲来では、勝った方が負けた方をはずかしめるような「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」など、勝利を記録するような絵は古くからありました。しかし家康は、なぜ自分の一番哀れな姿を絵に残すのか。天下を取っても、無残な敗北を喫した経験を、子々孫々まで戒めとして思い出させようとしたからでしょう。

 家康は他人のまねを素直にできる人間でした。例えば、武田信玄のまねをしています。関ヶ原の戦いは、三方ヶ原の戦いの焼き直しです。自分がやられた戦法さえも上手に使う。そこまで恥がなかった。

 まねという意味では、秀吉が豊国神社に「豊国大明神(とよくにだいみょうじん)」として神と祀られるようになったのなら、俺もなろうと自分も神になろうとする。家康は「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」として神格化され、日光東照宮などに祀られています。

 物まねをすること=「物学び」ができるタイプで、家康型のリーダーは歴史上全くと言っていいほど出ていません。