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 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、真田幸村、上杉謙信……。歴史に名を残す英雄たちは、どのような失敗を経験し、そこから何を学べるのか。日経BPから『歴史の失敗学』を刊行した歴史家の加来耕三氏が、独自視点の軽快かつ濃密な歴史物語で25人の英雄たちの “知られざる失敗の原因” を明らかにし、ビジネスパーソンに役立つ教訓を浮かび上がらせる。

 今回取り上げるのは豊臣秀吉。織田信長の野望を引き継ぎ、天下統一を成し遂げた秀吉だったが、政権を盤石にする前に命を落とした。秀吉の生涯の失敗とは何だったのか。加来氏に聞いた。

(聞き手は田中淳一郎、山崎良兵)

豊臣秀吉は戦国武将の中でも際立って人気の高い人物です。農民から、織田信長の草履取り、そして大名へと成り上がっていくストーリーが大変面白い。人を引きつける魅力に富み、優秀な人材を次々に登用していって、ついには天下統一を成し遂げました。

加来耕三氏(以下、加来):豊臣秀吉については多くの日本人が「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」マジックに引っかかっているような気がしてなりません。度量の広い大気者(たいきもの)で人たらし。多くの人を思い通りに操ったといったイメージです。

 しかし秀吉は本当にそんな人物だったのでしょうか。人間は追い詰められた時に本性が出ます。追い詰められた時に逃げるのが信長でしたが、秀吉はどうなのか。

 亡くなる時にウソを言う人は少ないはずです。秀吉は、よく三国志の劉備玄徳(りゅうび・げんとく)に例えられます。人たらしで、文武の漢(おとこ)がみんな周囲に集まった。劉備は死ぬときに諸葛孔明を呼んで、「(劉備の)息子の劉禅(りゅうぜん)に(皇帝としての素質がなければ、)お前が取って代われ」と言っています。「劉禅は幼い。自分で食べていけるようにしてくれたら、後は任せる」と。

 秀吉も本当に大気者なら、そうしてもよかったのではないでしょうか。「秀頼を頼む」──秀吉は家康に何回もこう話して、誓紙(せいし)を交わしています。そうではなく「取って代われ」と家康に言えばよかった。でも秀吉はそうできなかった。

 

大気者、人たらしという巷(ちまた)に広まっているイメージが間違っているなら、実際には秀吉はどのような人物だったのでしょうか。

加来:秀吉は10代で社会に放り出された、今でいう戦災孤児です。尾張(現・愛知県西部)の内戦で父を失い、寺に預けられる。金をくすねて家出した少年です。

 10代で少年が実社会に放り出されたらどう生きるのか。秀吉は、生涯に一度もうそ、悪口、陰口を言ってないとされています。陰口、悪口が言えないのはなぜなのか。

 「顔がサルに似ているな」と言われても受け入れられる。明日を生きるために何でもしたのが秀吉です。命か成果か。秀吉は大坂城で、伊達政宗に刀を持たせて背中を見せて歩いたこともある。大胆なことをするのは、すごいばくちを打てるからです。心の中ではびくびくしていたでしょう。身も心もばくち打ちで、それが後の健康問題につながります。

 歴史を活用するのは実に簡単です。本当に言われている通りだったのか。そんなことはないだろうと思えば、小説ではなく、歴史に基づく伝記を読めばいいのです。3冊でも読めば自分の意見が明確になる。自分はどう考えるのかをはっきりさせると、スタート地点とプロセスが頭に入ってきます。

 秀吉は門地、家柄にめぐまれていない。だからこそ、頭がいい、腕の立つ人物をうまく使う。へりくだって、どうか俺を助けてほしい、と頼むのがうまい。