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身をすり減らして“消耗病”になった秀吉

なるほど。秀吉が恐れるような一言を口にしたことが官兵衛の大失敗だったわけですね。ところで、戦国武将として大成功を収めた秀吉の一番の失敗は何だったのでしょうか。

加来:健康管理です。詳しくは『歴史の失敗学』に書いていますが、秀吉は頂点に上がるまでに、心身をともにすり減らしていました。例えば、1570年にあった織田信長対朝倉義景戦の「金ヶ崎の戦い」では、信長を逃がすために、秀吉は殿軍(しんがり)を買って出て命がけの戦いをしています。その後も、信長のために身を粉にして、戦いを繰り返しています。

 もともと、秀吉には雑草のようなたくましさがあり、およそ病気とは無縁だったので、自分の健康に対する過信があったように思います。シカやイノシシ、鶏の肉など脂好きでもありました。無理をする中で、知らず知らずのうちに体がむしばまれていったようです。

 秀吉の死因については、腎虚(じんきょ)説と労咳(ろうがい)説の2つがあります。腎虚説とは、秀吉が女性好きで、腎水(じんすい)が空になって死に至ったというもの。労咳とは肺病のことを指しますが、気管支炎と肺結核の区別すら定かでなかった当時としては判断が難しいように思います。

 いずれにせよ、秀吉は“消耗病”であったということは指摘できるでしょう。

秀吉はどのような健康管理をしていたのでしょうか。

加来:健康管理が不十分な中で、例外的と言えたのが風呂好き、湯治好きであったことです。近江長浜城(現・滋賀県長浜市)や姫路城(現・兵庫県姫路市)には湯殿を入念につくらせています。また灸(きゅう)にも関心を持っていました。

 ただ“番医(ばんい)”と呼ばれる秀吉の医師団が形成されたのは天下人になったくらいの時期で、遅すぎたと言えるでしょう。病気を意識するようになって初めて医師団を設置しましたが、それでも不摂生が続くことが多かったようです。

 結局、長生きできたかどうかが、その後の天下の行方を決めたとも言えます。家康は長生きして、大坂の陣に勝利し、徳川幕府の盤石な体制づくりに力を注ぐことができました。一方の秀吉は、健康管理をおろそかにしてきたことを晩年になって心から悔やんだことでしょう。秀吉がもう少し長生きしたら、家康の天下もなかったかもしれません。

 若い時に体が丈夫だった人ほど、自分の健康を過信しがちです。ビジネスパーソンも、健康問題で足元をすくわれることがあります。ある年齢を超えたら、人間ドックには頻繁に行くなど健康管理に気をつけるべきなのは当然です。秀吉の失敗から学ぶべき点は多いように思います。

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