全4175文字

秀吉が黒田官兵衛を恐れるようになった一言

頭が切れる、優れた人物を部下にして、引き上げて活用したという意味では、秀吉の軍師だった黒田官兵衛が有名です。「本能寺の変」の後に、秀吉が、敵と対峙していた中国地方から短期間で移動し、明智光秀を討伐する「中国大返し」で大活躍しました。

加来:官兵衛には面白いエピソードがあります。親しかった竹中半兵衛は結核で亡くなっていますが、その前に、もう引退かと考えて高野山に行く準備をしていた頃のことです。秀吉から以前もらった、恩賞を約束した手紙を持って官兵衛がやってきます。(編集部注:手紙の内容は、秀吉が、自分の弟と同じように思うほど、官兵衛に感謝しているというもの。それなのに約束を守ってくれないと官兵衛は不満を持っていた)。誇らしげな官兵衛に対し、半兵衛はなんと、その手紙を火の中にくべてしまいます。

 「なぜそんなことをするのか」。激怒する官兵衛に対して、「手紙は残るので、将来も(秀吉は)そのままの気持ちだと思ってしまう。だから、燃やしたのだ」。こう半兵衛はいさめます。

 手紙が残っていると、その時にはこんなに自分のことを思ってくれていたのに、今はなぜこんな扱いをするのかと思ってしまうからです。事実、秀吉は、官兵衛の能力を評価していたものの、その力を恐れるようになっていました。

 本能寺の変と信長の横死を受け、中国大返しを行う場面で、官兵衛は秀吉に本性を見抜かれてしまった。もちろん中国大返しの原動力となったのは官兵衛でしたが、その際に泣きながら信長を追悼する秀吉に「うまくやれば天下が取れますよ」と言った。

 自分を低い身分から引き上げてくれた信長の死を、秀吉が悲しんだのは本心であったでしょう。しかし、天下人となるような人間の心理は複雑です。その一方で、本心ではどうしようかなと思っていたところへ、官兵衛に図星をさされたのです。

 官兵衛にとっては生涯最大の失敗でした。あの一言で、秀吉は官兵衛を恐れるようになった。歴史は答えを求める学問ではありませんが、伝えられた結果から、おおよその流れは見えてくる。「こいつは怖い」と秀吉は思っていた。

 当時の秀吉は、中国攻めの最中。敵中で置いてきぼりの状態でした。率いていたのは混成部隊で、信長が怖いから、秀吉にくっついている。このとき、秀吉が率いていたのは2万7500余でしたが、そのうち自分が直轄する兵の数は、わずか6000ほどに過ぎない。ほかは、備前(現・岡山県南東部)の宇喜多氏など、いつ裏切ってもおかしくない新参者も含まれている。

 そこで秀吉と官兵衛はひとつの噂を、自軍の中に流します。

 「ちょっと待てよ。秀吉が天下を取ったら俺たちは大名だ。足軽も将校になれる」。結果的にこの演出が、中国大返しを成功させるのですが、この演出を成功させたのは、官兵衛でした。つまり、官兵衛は自分と同じ、あるいはそれ以上の能力を持っている。

 「官兵衛がいないと天下が取れない」のは事実だけれども、天下を取った後は、逆にその存在が邪魔になるだろう。あいつは危ない。自分の次の天下人は誰か? あいつ、あの足が不自由な男(官兵衛)だとなった。

千利休と茶の湯に親しんだ秀吉だが、健康管理は不十分だった(画:中村麻美)