古典『伊勢物語』は、和歌を中心に125章段で構成された歌物語。「むかし男、ありけり」と始まる物語の主人公は在原業平であるという説が有力ですが、実のところ、詠みこまれている歌の中には業平作ではないと思しきものも含まれています。一行と和歌だけの段などもあり、つかみどころのない箇所も目立ちます。

 『小説伊勢物語 業平』では、業平の歌だけを抽出し、業平が15歳で元服してから56歳で人生の幕を下ろすまでを時系列に並べました。その年代年代に出会い、影響を受けた女性との初々しい恋、華やかな恋、艶めいた恋、奔放な恋、切ない恋、哀れな恋、禁断の愛、そして永遠の愛……。

 光源氏のモデルともいわれる業平の華麗な恋の遍歴を軸に、阿保親王を父に持ち、雅な業平の生涯が、そして母への愛、友情、主従間の信頼関係など多岐にわたる人間関係の極意が繊細なタッチで描かれています。

 作者である高樹のぶ子氏と万葉学者の上野誠氏の対談を2回に分けてお届けします。前編のテーマは「伊勢物語を小説化するために」です。

(構成=丸山あかね)

月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

ああ。この月はいつぞやの月とは違うのか。この春は去年の春ではないのか。何も変わらぬ月や春のはずなのに。我が身だけが元のまま、あの御方を思い続けているせいで、月や春さえ、昔とは違ってしまったようにさえ思えてしまうのです。

 画=大野俊明 

<span class="fontBold">高樹のぶ子 たかぎ・のぶこ</span><br>1946年、山口県生まれ。80年『その細き道』で作家デビュー。84『光抱く友よ』で芥川賞、94年『蔦燃』で島清恋愛文学賞、95年『水脈』で女流文学賞、99年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、2006年『HOKKAI』で芸術選奨文部科学大臣賞、10年『トモスイ』で川端康成文学賞受賞。芥川賞をはじめ多くの文学賞の選考にたずさわる。ほかの著作に『マイマイ新子』『百年の預言』『甘苦上海』『ほとほと 歳時記ものがたり』『明日香さんの霊異記』など多数。17年、日本芸術院会員。18年に文化功労者に選出。(写真=北山宏一、以下同)
高樹のぶ子 たかぎ・のぶこ
1946年、山口県生まれ。80年『その細き道』で作家デビュー。84『光抱く友よ』で芥川賞、94年『蔦燃』で島清恋愛文学賞、95年『水脈』で女流文学賞、99年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、2006年『HOKKAI』で芸術選奨文部科学大臣賞、10年『トモスイ』で川端康成文学賞受賞。芥川賞をはじめ多くの文学賞の選考にたずさわる。ほかの著作に『マイマイ新子』『百年の預言』『甘苦上海』『ほとほと 歳時記ものがたり』『明日香さんの霊異記』など多数。17年、日本芸術院会員。18年に文化功労者に選出。(写真=北山宏一、以下同)
<span class="fontBold">上野 誠 うえの・まこと</span><br>1960年、福岡県生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。研究テーマは、万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。第12回日本民族学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞受賞。『魂の古代学―問いつづける折口信夫』にて第7回角川財団学芸賞受賞。その他の著書に『万葉文化論』『万葉挽歌のこころ―夢と死の古代学』『日本人にとって聖なるものとは何かー神と自然の古代学』『万葉集から古代を読みとく』など多数。近著に『万葉学者、墓をしまい母を送る』。
上野 誠 うえの・まこと
1960年、福岡県生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。研究テーマは、万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。第12回日本民族学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞受賞。『魂の古代学―問いつづける折口信夫』にて第7回角川財団学芸賞受賞。その他の著書に『万葉文化論』『万葉挽歌のこころ―夢と死の古代学』『日本人にとって聖なるものとは何かー神と自然の古代学』『万葉集から古代を読みとく』など多数。近著に『万葉学者、墓をしまい母を送る』。

伊勢物語を小説化するために

上野誠氏(以下、上野):以前にも高樹さんの『小説伊勢物語 業平』をめぐって対談しましたね。あれはまだ発売される前、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令される直前でした。発売のタイミングとしては出ばなを挫かれた感がありましたが、蓋を開けてみたら売れましたねぇ。現時点ですでに6刷りと聞いて、このご時世に2200円もする本がこんなにも動くとは快挙だなと。まずはおめでとうございます。

高樹のぶ子氏(以下、高樹):ありがとうございます。自粛生活の中で多くの人がいつか読みたいと思っていた本を手に取ったのだとか。どうせならと長編に挑戦なさった方も少なくないのではないでしょうか。その意味では思いがけず追い風に恵まれました。

上野:それだけではないでしょう。恋愛小説の名手である高樹さんが、平安時代のプレイボーイとして名の知れた在原業平の生涯をどう描くのか──。誰だって食指が動くというもの。僕はあまりの面白さにページをめくる手が止まらず、2晩で読み切ってしまいました。平安時代にタイムスリップしたような不思議な感覚を覚え、豊潤な読書の旅を体験することができたのです。

高樹:ありがとうございます。国文学者である上野先生にそう言っていただけると心強いです。

伊勢物語という小骨を丹念に拾い集めて

上野:高樹さんはかねて70歳になったら古典に挑戦しようと考えておられたと伺いましたが、さすがに目のつけ所が違う。

高樹:そんな大仰なことではなくて、業平はいかにもチャーミングな男なのだけれど、考えてみたら具体的な人生が明かされていないと気づいたというか、気づいてしまったというか(笑)。

上野:普通は気づいてもスルーします。だって伊勢物語には謎が多すぎて……。そもそも物語と銘打っておきながら物語になっていませんよね。短編の集成なので「つながり」というものがなく、時系列もはっきりしない。これを高樹さんは後宮の世界、すなわち天皇の身の回りを支える女たちの物語に仕立て上げた。バラバラな歌物語の中から業平作であろう歌を選び出し、時系列に並べ……。つまり125の短編という一つひとつのお団子に串を刺してつなげたというか、伊勢物語という小骨を丹念に拾い集めて、骨格を作り、肉づけをして海に放ったというか……。

高樹:ああ、うれしい。

上野:いずれにしても古典を知る身としたら、書き始めるまでの準備がさぞかし大変だっただろうと、考えただけでクラクラしてしまうわけです。

高樹:私も日経新聞での連載が決まってから、自分は大変なことに手を出してしまったのだと気づきました。業平の生涯を書いてみようとひらめいたときには、文学の神様が私のために『小説伊勢物語』という題材をとっておいてくださったと小躍りしたけれど、そうではなかった。歴代の作家が、こんな大変な作業に取り組むのは嫌だと避けて通った道なのだと確信して。でも時すでに遅しで(笑)。

上野:それはどうかな? 苦しみつつもノリノリで執筆に励んでおられたようにお見受けしますけれど。

続きを読む 2/2 難解とされた物語を中学生も読めるように

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