建築家・安藤忠雄氏が、2012年刊の自伝『仕事をつくる 私の履歴書』を改訂し新たに出版した。独学で大阪から世界に闘いを挑んだ80年の歩みを通して、これからの日本を生きる若い人たちを叱咤(しった)する書でもある。安藤氏が共に社会活動に取り組む42歳のユーグレナ社長・出雲充氏と、世代を越えて「面白い仕事」について語り合った。

大阪市の中之島公園にある「こども本の森 中之島」で語り合った安藤氏(右)と出雲氏(写真=太田未来子)
大阪市の中之島公園にある「こども本の森 中之島」で語り合った安藤氏(右)と出雲氏(写真=太田未来子)
安藤忠雄(あんどう・ただお)氏
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、69年安藤忠雄建築研究所を設立。79 年「住吉の長屋」で日本建築学会賞。代表作に「光の教会」「地中美術館」「ブルス・ドゥ・コメルス」など。91年ニューヨーク近代美術館、93年パリのポンピドー・センターで個展。イエール大学、コロンビア大学、ハーバード大学の客員教授を務め、97年東京大学教授(03年名誉教授)。93年日本芸術院賞、95年プリッカー賞、2005年国際建築家連合(UIA)ゴールドメダルなど受賞多数。10年文化勲章。15年イタリアの星勲章 グランデ・ウフィチャーレ章。21年、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールを日本人建築家として初めて受勲した。
出雲充(いずも・みつる)氏
1980年広島生まれ。東京大学に入学した98年、バングラデシュを訪れ、深刻な貧困に衝撃を受ける。2002年東京三菱銀行(当時)入行。2005年株式会社ユーグレナを創業、代表取締役社長就任(現任)。同年、世界初の微細藻ミドリムシ(学名:ユーグレナ)食用屋外大量培養に成功する。世界経済フォーラム(ダボス会議)ヤンググローバルリーダー、第1回日本ベンチャー大賞「内閣総理大臣賞」、第5回ジャパンSDGsアワード「SDGs推進本部長(内閣総理大臣)賞」受賞。現在、経団連審議員会副議長、内閣官房知的財産戦略本部員、経産省SDGs経営/ESG投資研究会委員、ビル&メリンダ・ゲイツ財団SDGs ゴールキーパーを務める。

「気合入れて走れ。ぶつかったら蹴っ飛ばして行け」

出雲充氏(以下、出雲氏):私は「青春」という言葉が大好きで、本を読むときには、松下幸之助翁の「青春」という揮毫(きごう)が入った栞(しおり)を使っているんです。松下幸之助歴史館でもらったものです。私にとって尊敬している神様と言ってもいい幸之助翁は、経営者に贈る言葉として「青春」という言葉を大事にされていた。パナソニックの方に出典を聞いてみると、サミュエル・ウルマンの『青春』という詩だと。安藤さんの新刊『仕事をつくる 私の履歴書【改訂新版】』にこの栞をはさんで読もうとすると、冒頭からウルマンの『青春』が引用されていて、一気に読んでしまいました。

安藤忠雄氏(以下、安藤氏):「希望を心に持ち続ける限り、人間はいつまでも青春を生きられる」。1980年代後半から90年代前半に関西経済連合会の会長を務められた、東洋紡の宇野収さんが訳した詩の一節です。宇野さんが私に「目標があるうちはいつまでも青春だ」と言われたのは80年ごろだったと思います。

 敗戦からの復興という目標を掲げて、日本人は高度成長を成し遂げたのですが、お金持ちになった日本人はいつしか目標を見失ってしまった。バブルが崩壊した90年代はじめから、世界の中で日本は落ちっぱなしですが、私は1975年ごろにはすでに、日本人一人ひとりに緊張感がなくなっていたのではないかと感じています。

 70年代から80年代にかけて私は、サントリーの佐治敬三さんや宇野さんといった関西の経済人から大いに薫陶を受けました。「おまえは面白いから、学歴なんかはどうでもいい。自分で生きる力があれば、この国では生きていける。気合入れて走れ」といつも叱咤です。「ぶつかったら蹴っ飛ばして行け。ついてくるヤツも時々はいる。いや、ほとんどいないかもしれないが、その方が人生は面白い」と(笑)。

 私はその言葉を糧にして建築の仕事をしてこられました。出雲さんのように自分がやりたいことを見つけて、全力で青春をかける若い人がもっと出てきてほしい。『仕事をつくる』は私の80年の半生を振り返った本ですが、そういうメッセージも込めています。

 日本人がもう一回気合いを入れるには、これからの社会を担う人たち一人ひとりが様々なことに好奇心を持たなければダメだと思います。人と同じ道は歩まなくてもいいんだ、ということに気づかないと。自分の道を自分で切り開いていく人がいて、ついていく人たちがいるから会社も成り立つんです。そういう気概を持った人が最近はあまり見当たらない。

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