『嫌われる勇気』著者、部下の無能は上司の責任
『ほめるのをやめよう』を巡る「自信のない管理職」との対話(5)
『嫌われる勇気』をはじめ、過去に多くの著作を持つ哲学者の岸見一郎氏。今年刊行した『ほめるのをやめよう』では、リーダーシップについて、初めて論じた。
そんな岸見氏が、今どきの中間管理職の悩みや疑問に答えるシリーズの第5回。日経BP・クロスメディア編集部長の山崎良兵が岸見氏に問いかけていく。
今回のテーマは、「伸び悩む部下に、どう働きかければいいか」。
上司・部下の人間関係を親子関係と比べたとき、「決定的な違い」と「本質的な共通点」があると、岸見氏は話す。独自の視点から、職場の人間関係のあるべき姿を説く。
言うべきことをはっきりと言いながら、確固たる信頼関係を築くのが、理想的な関係。しかし、そんな理想を実現するには、どうしたらいいのか。哲学者による処方箋を紹介する。
(構成/小野田鶴)
前回(「岸見一郎、リーダーは「嫌われる勇気」を持ってはいけない」)から、しばらく間が空きました。ご無沙汰しております。
今回、ご相談したい「リーダーの悩み」は、こちらです。
Q.なかなか成果が上がらない部下がいます。
能力がないわけではなく、むしろ高い能力を持つ人だと私は見込んでいて、それだけに彼がパフォーマンスを上げられずにいる現状がもどかしいです。
どこに課題があるのかはある程度、見えているので、提案めいた声掛けもしていますが、本人のプライドを考えるとあまり直接的には言えません。もっとはっきり言ったほうがいいのかもしれないとも思いますが、正直、悩みます。
能力さえあれば必ず、高いパフォーマンスを上げられる、というわけではないですよね、仕事とは。
相談者の悩みのように、例えば、職人肌のちょっと頑固なメンバーがいて、「もう少し、ほかの人の意見に耳を傾けてくれれば……」と歯がゆく思う、などというのは、よくあるケースではないでしょうか。助言したくても、なまじ能力があるだけにプライドも高く、言いにくい。
こんなとき、どうすればいいのでしょう。
岸見:この問題には、いくつかのことが関係しますが、最初に、少し基礎的な話をしましょう。
リーダーには大雑把(おおざっぱ)に分けて、2つのタイプがあります。
1つは、「仕事という課題」だけに関心がある「課題達成型」のリーダー。もう1つは、仕事という課題よりむしろ「対人関係」に関心があるタイプ。「対人関係型」のリーダーです。
岸見一郎(きしみ・いちろう)
1956年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)、『生きづらさからの脱却』(筑摩書房)、『幸福の哲学』『人生は苦である、でも死んではいけない』(講談社)、『今ここを生きる勇気』(NHK出版)、『老後に備えない生き方』(KADOKAWA)。訳書に、アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』『人生の意味の心理学』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)など多数。
岸見:これは、どちらがいいとか悪いといった話ではありません。
ただ、対人関係型のリーダーの中には、「こういうことを言ったら、本人のプライドが傷つくのではないか」と思うあまり、仕事の上での失敗であっても、それを部下に指摘することが難しい、と感じる人がいます。
私もどちらかというと、そちらのタイプかもしれません。
岸見:仕事の上での失敗ならば、本来、人間関係は二の次、三の次にしていいのです。上司が部下の失敗を指摘することに逡巡(しゅんじゅん)する必要はありません。仕事の上のことだと割り切って、本人のプライドとは無関係に「これは失敗である」と言わなくてはいけません。
けれど、対人関係を気にするタイプの上司はどうしても、そこで矛先が鈍ると言いますか、言いよどんでしまうことがあります。
失敗と同様、部下が自分の力を十分に伸ばせていないときにも、そのことについて上司は、きちんと部下に説明していかないといけません。これが一つ。
部下の伸び悩みは、上司の責任
ほかに、どんな問題があるのでしょうか。
岸見:もう一つは、リーダーに対して厳しい言い方にはなりますが、「部下が十分に力を発揮できていないとすれば、それは上司の責任である」ということです。要するに教育が足りない、きちんと指導できていない、というわけです。
確かに、そうですね。
岸見:上司が自分のことを棚に上げて、部下の能力や努力の不足を責めるというのは、自分を責めていることに等しいということに、気づかないとなりません。
なるほど。部下を「無能」と言った瞬間、上司としての自分の無能を認めていることになるのだと。
岸見:これは、上司・部下の関係が、親子関係と大きく異なるところです。上司・部下の関係においては「課題の分離」が通用しません。
岸見:親子関係においては、例えば、子どもが勉強しないとしても、それはすべて子どもの責任であり、親の責任ではありません。成績が上がらないのは、子どもが勉強しないからであって、勉強という子どもの課題に対して、親は一切、手出し、口出しする必要はありません。
アドラー心理学における「課題の分離」ですね。
岸見:これ(課題の分離)ができたら、親子関係はすごく楽になります。子どもが勉強しなくても、親は一切、口出しする必要はないですし、子どもの成績が悪くても、親は一切、気に病む必要はないのですから。
私自身、子どもたちに「勉強しなさい」と言ったことはありません。親が「勉強しなさい」と言わなくても、子どもたちはそれぞれ自分で判断し、熱心に勉強したり、あるいは勉強よりほかのことに関心を示したりしながら、学生時代を過ごしました。
いずれにせよ、勉強する、しないは子どもたちの課題であって、親の口出しすることではないですね。仮に、成績がどんどん下がったとしても、それに親が関わる必要はないのです。
「うちの子」の成績なら、切り捨てていいけれど
岸見:しかし、職場において、部下の成績が伸びないとか、部下が失敗ばかりしているということであれば、これを「部下の課題だ」と、部下を切り捨ててはいけません。部下と上司の「共同の課題」にしないといけません。
学校の先生も同じです。学校の先生にも「課題の分離」は通用しません。
例えば、学校の先生があるとき、娘さんの成績表を片手に家庭訪問にやってきて、「この成績表を見るとどうやら、おたくの娘さんは、私の授業についてこられないようです。だから、塾にやらせてください」と言ったら、どうでしょう。今の先生たちは家庭訪問なんてしていないかもしれませんし、仮にしていたとして、そんなことをする先生などいないかもしれませんが。
娘さんが学校の授業についていけていないのであれば、それは本来、先生の指導法に問題があるので、先生がきちんと生徒に分かりやすい授業をすれば、生徒の成績は伸びるはずです。だから、自分の授業を棚に上げて、塾にやらせてください、というのは本末転倒です。
職場でも同じです。
岸見:相談者の話に戻れば、その部下が高い能力を持つのであればなおのこと、上司であるあなたは、その能力を伸ばしていかなくてはいけないわけです。
部下が思うような成果を上げられないのを、「部下の問題」と捉えるのではなく、指導している「私の問題」なのであって、私の指導法には改善の余地があると捉える。少なくとも「私たちの問題」であると考えるべきでしょう。
そのような「私の指導法の問題」に気づいたとき、どうすればいいのでしょうか。
岸見:上司から部下に、どう働きかけたらいいか。こういう言い方はできると思います。
「最近のあなたの様子を見ていると、仕事で十分に能力を発揮できていないようだが、そのことについて一度、話をしたい」
そのように言って、部下に相談していかないといけません。けれど、山崎さんも読者の皆さんも十分にお分かりと思いますが、そういう言い方を、すごく嫌なものと受け取る人がいるでしょう。
一周回って、やっぱり人間関係
言われる部下も嫌かもしれませんが、厳しいことを言いにくいと感じる上司もいるはずです。
岸見:「最近のあなたの働きぶりはあまりよくない」と、上司が部下に言ったら、どうなるでしょう。
子どもだったら、反発します。子どもが最近の成績のことで、親や教師に「このままではダメじゃないか」「このままだったらどうなると思う?」というようなことを言われれば大抵、反発します。自分でも分かっているからです。自分でも「勉強しなければならない」と分かっているときに、親や教師にそのようなことを言われたら、自分に対する「皮肉や威嚇、挑戦」であるとしか、なかなか受け止められません。
ただし、それはあくまで、親子関係が悪ければ、です。
親子関係が良ければ、「このままだったら、どうなると思う?」と言われても、子どもは、それを皮肉や威嚇、挑戦と受け止めない。
この点は、上司・部下の関係も同じです。そのような関係を、親は子どもと、上司は部下と、築いていかなくてはいけない。
なるほど。
先ほどは、上司・部下の関係と親子関係の違いを指摘されましたが、基本的な人間関係の良さが重要であるのは、共通なのですね。
岸見:相談者は、対人関係を重視するタイプのリーダーだと思います。
しかし、今、申し上げたような「良い関係」を、部下との間に築けていれば、相手のプライドのことなど考えることなく、「このままだったら、どうなると思うかね」といったことを切り出せると思います。さらに、その課題について上司として、部下と協力して解決するということも、容易になると思います。
上司に必要なコミュ力のトレーニングとは?
その通りだと思います。けれど、現実には難しいです。
自分自身の経験を振り返っても、相手に課題を伝えようとしたつもりで、やっぱり伝わっていかなかったのだろうと思う場面が多々あります。なかなかはっきり言えることではありませんから。そういうときのコミュニケーションの取り方というのは、どうしたらいいのか……。
トレーニングする必要があるのでしょうね。本人のプライドを傷つけずにはっきり伝えるトレーニング。バランスをとるとでもいうのでしょうか。
岸見:そこは、確かに難しいところですね。
私が考えるに、要は、お互いの目的、目指すところは同じなのです。「この仕事でいい結果を出すこと」であるという。その点を理解してもらえるような感じに表現できれば、もっとうまくいく気がします。
岸見:今の山崎さんのご指摘に付け加えるなら、部下の言動の適切な面に注目していくという努力は、していかないといけないでしょう。
「部下の言動の適切な面に注目する」ですか。深い話になりそうですね。この続きは、明日に。
そして最後に、編集部からお知らせです。人気SNS「note」で『ほめるのをやめよう』の読書感想文を募集しています。素敵な作品は「#読書の秋2020」コンテストの受賞作となるほか、ノベルティなどのプレゼントもあります。詳しい情報は、こちらからどうぞ。ぜひご応募ください。
上司であることに自信がないあなただから、
よきリーダーになれる。そのために―
◎ 叱るのをやめよう
◎ ほめるのをやめよう
◎ 部下を勇気づけよう
『嫌われる勇気』の岸見一郎が放つ、脱カリスマのリーダーシップ論
ほぼ日社長・糸井重里氏、推薦。
「リーダー論でおちこみたくなかった。
おちこむ必要はなかったようだ」
●本文より―
◎ リーダーと部下は「対等」であり、リーダーは「力」で部下を率いるのではなく「言葉」によって協力関係を築くことを目指します。
◎ リーダーシップはリーダーと部下との対人関係として成立するのですから、天才であったりカリスマであったりすることは必要ではなく、むしろ民主的なリーダーシップには妨げになるといっていいくらいです。
◎ 率直に言って、民主的なリーダーになるためには時間と手間暇がかかります。しかし、努力は必ず報われます。
◎ 「悪い」リーダーは存在しません。部下との対人関係をどう築けばいいか知らない「下手な」リーダーがいるだけです。
◎ 自分は果たしてリーダーとして適格なのか、よきリーダーであるためにはどうすればいいかを考え抜くことが必要なのです。
● 現役経営者からの共感の声、続々!
サイボウズ社長・青野慶久氏
「多様性に対応できない昭和型リーダーシップに代わる答えが、ここにある。」
ユーグレナ社長・出雲充氏
「本書がコロナ禍の今、出版されたことには時代の必然がある」
面白法人カヤックCEO・柳澤大輔氏
「僕も起業家&経営者という職能を20年以上続けてきていますが、いわゆる起業家や経営者っぽくないと何度も言われてきました。自分自身、いわゆるリーダー体質じゃないなと思っていましたが、それは僕自身が知らず知らずにリーダーというものを過去の固定概念で捉えていたからのようです。リーダー像は多様化しており、時代とともに求められているリーダーの性質は変わり、もっといえば、誰でもなろうと思えばなれるし、一人ひとりがリーダーにならないとならないんだと思います。世の中をよりよくするために」
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